506機関

夜な夜な酒と議論を交わす月読ジャーナル

lhasaintibet

2023年3月某日

普段あまり見ないテレビをふと魔が差してつけてしまうことがある。テレビの大画面で医師会の尾身が「第八波がっ、、第八波がっっ、、、」と、また寝言をほざいてる。もはや発言以上にその顔が不愉快だ。やっぱりテレビなんか見るもんじゃないと後悔。この尾身野郎は自分の病院にコロナ患者を受け入れるからと300億の補助金を貰っておきながら実際は一人も受け入れてなかったらしい。なんで逮捕されないんだ?こんな詐欺師に補助金やるために時短やら自粛やらマスクを強いられてると思うとうんざりする。もう疲れたよ。

どこかで「コロナ疲れ」という言葉を聞いた。上手いこと言うなぁと感心した。

まさにコロナ疲れ。

コロナ騒動勃発から3年が過ぎようとしているが、いまだ自分の周辺でコロナで死んだとか入院したなどの話はない。そのかわり健康まっしぐらの友人がPCR検査で陽性判定を受けホテルに隔離されたり、また違う友人は自宅隔離を余儀なくされ県外に出張や旅行ができなくなったと嘆いていた。本人たちは健康そのもの、、、なのにだ。そんな中、一番重大だったのは顔馴染みのジムの知り合いがワクチンの副作用で重体に陥ったという話だ。その方とこれから仲良くなりたいと思っていた矢先、本当に悲しい出来事だった。コロナを防ぐワクチンを打って入院、、、ってどういうことなんだよ。こんなバカげた状態で政府はまた何度目かの緊急事態宣言を検討しているらしい。一体私たちは何を恐れているんだ?もう疲れたよ。

あぁ、コロナ疲れ。

こんな茶番を続ければ続けるほど子供・若者たちはこの異常状態を当たり前だと誤認してしまう。自粛も時短もマスクも過剰なまでの消毒すらも、全て一過性なはずなのにこんなことを3年も続けている。もうマスクは手遅れかもしれない。私も今回で計らずもマスクの力を思い知った。こんなにも女性を美人に見せるアイテムだったとは(なぜか男性に効果はない)。当の女性が一番効果を感じているのではないか。顔に対するコンプレックスを多かれ少なかれ持つ若い女の子なら使わない手はない。この騒動が終わっても本来の意味を超えてマスク文化は残るものと思われる。なんか、マスク自体オシャレになってるしな。

まぁ、それはいいか。

そろそろ帰宅しようかと赤坂見附駅で発車ギリギリの丸の内線に飛び込んだ。すると内側のドアにもたれていた女性が突然バタバタと暴れだした。苦しそうに両手を顔の前でバタバタさせ、顔を左右に振っている。何が起こったんだと私も含め周囲の乗客が一斉に彼女へ視線を向けた。ゴスロリというのだろうか、とにかくフリフリヒラヒラの服装をした若いお嬢さんである。彼女はなんとマスクを3枚も重ねているではないか。それもフリフリの。苦しいのも当然だ、3枚も重ねるなんて普通じゃない。マスクの下でどうやら大声で何かを訴えている。3枚も重ねているせいか声のボリュームは極端に小さいが、悲鳴を上げて身体全体を使って何かを拒否している。


「イヤァァァ、ムリムリムリムリィィィ、ギャァァァ」
彼女はまるで進撃の巨人の、人が巨人に食べられる瞬間のような絶叫と慌てふためき方をしている。


ん、、?
もしかして、、、俺、、、、なのか??


いやいやいやいや。どこにだって一定割合でノーマスク同志はいる。毎度毎度そんなリアクションするのかよ。まさか私が初めて出会ったノーマスクではなかろうに。どうしても信じられない、いや信じたくない私は試しに足を一歩彼女の方向に踏み出してみた。すると彼女もそれに合わせて一歩後ずさる。3枚マスクの下で絶叫を上げながら全力のボディランゲージで私を拒否している。それを見ている周囲の乗客も一斉に私たち2人から半歩後ずさる。


・・・・俺は巨人か(泣)


彼女は本当にどうしようもなくコロナが怖ろしいのだろう。さすがの私もここまで純粋にコロナを怖れる若者を目の前にして強気な態度は取れない。次の国会議事堂駅でそっと下車した。3枚マスクの下でどんな表情をしていたのだろうと想像する。そして彼女の悲鳴の理由がマスクでなかったらどうしようかと考えて。


2022年11月某日

コロナ騒動も、もう2年続いている。世間では外出時のマスク着用がすっかり定着してしまった。そんなご時世にあっても電車の一車両あたり2~3人はノーマスクな猛者を見つけることができる。割合にして50人に1人程度だろうか。やはり大多数がマスクを着けている空間でノーマスクは「ギョッ」とする存在だ。街中でいきなり素っ裸の人を見かけた反応に近いだろうか。そんな私もノーマスクなんだから、その感想はすなわち他人が私を見ての感想でもある。

「・・・・規則に従わない奴ってどこにでもいるよなぁ、ホントダセエヨ」
「・・・・マスクをしないなんてコロナをまき散らすつもりなのっ⁉、ユルセナイッッ‼」

世間の心の声が聞こえてきそうだ。同じく世間の一員である私もマスクをしない君に向かって雄叫びを上げよう。

「君は同志だ‼アリガトウ‼」と。

この世間の潮流でノーマスクはリスクでしかない。何も考えず黙ってマスクをすれば世間から冷たい目をされずに済むのだ。それなのになぜノーマスク。揺るぎない何かがあるに違いないと勝手に思いを馳せてしまう。2020年、コロナ騒動が始まった矢先、世間の警戒度Maxだった時期ノーマスクで電車に乗った折、座席に腰を下ろすと私の周囲四方の乗客が一斉に席を立ち、サーッと蜘蛛の子を散らすように離れていったのだ。当初はとまどったものの次第に慣れて感情が麻痺した私だが、このような仕打ちを日常で受けて尚、ノーマスクを貫くのは余程強い意志がないと無理だろう。

今、目の前にいるノーマスク同志もきっとこんな仕打ちを受け続けてきたに違いない。それを思えば自然と目が細くなってしまう。きっと辛かっただろう。同志よ。こんなリスクを負ってまで、君はどんな信念があるんだい。私はね、ノーマスク派が世間の50%に達すれば子供たちへの2次被害は食い止めることができるはず、その信念だけでこの屈辱に耐えているんだ。あぁ、同志たちと語り合いたい。



公共機関で私と対峙するマスク派たちは、私を汚物か変質者として距離を置くか、あるいはマスク着用を説き伏せてくるか、その2択であろうことは予期していた。歪んだ正義を振りかざし説教を吹っ掛けてくるマスク派をいかに論破するか、私なりの対応策は既に考えている。が、そこに心の隙間、油断があったことは認めなければならない。あらゆるパターンを想定しているつもりが、その予想のさらに上をゆく事態が起こった。


「兄ちゃん、マスク貸したろか?」


肩をポンポンと叩かれ振り向くと、初老のオジさんが不安気な表情で私を見つめている。

「はへ?」

あまりの不測の事態に今まで出したことのない声が出てしまった。今一体どういう状況なんだ。

「兄ちゃん、マスク持っとらんのか?あんた電車の中で目立っとるぞ」

オジさんは、優しさと慈愛に満ち溢れた目で私をみつめている。

「兄ちゃん、マスク忘れたんやろ?マスク貸したろか?」

これを油断と言わずして何なのか。

あぁ、、喧嘩腰の自分がバカみたいじゃないか。
こんな一手があったとは。

その善意と優しさの一撃に、、、完敗。

「地獄への道は善意で舗装されている」

私の好きなヨーロッパの格言がふと頭に浮かんだ。

2021年 初冬

コロナによる緊急事態宣言で飲食店の夜間営業が8時までと政府から「お願い」された。あくまで自主制限であって強制ではないが、一部のツワモノ経営者を除けば大半の店舗が午後8時閉店せざるを得ない状況であった。見返りとしての1日7万円の給付を美味しいと取るか少ないと取るかは店の規模によるけれど、酒を出すバーや居酒屋にとっては死活問題になる。だって飲んで楽しくなるのは午後8時過ぎてからだろうに。それならいっそのこと営業はランチのみにして夜は閉めてしまおう、そうなるのに時間はかからなかった。陽が落ちても街のネオンが灯ることはなくなり、日本の首都東京は漆黒の闇に落ちるようになった。


外食産業も大きなダメージだけど、最も大打撃を食ったのが観光・イベント産業だろう。イベントは全て中止。旅行もダメ。戦時中でもイベントや旅行はしていただろうに。私もイベント産業の端くれだ。例外に漏れず見事に仕事がなくなった。自営業をしているといつか仕事がなくなる日をぼんやりと予測してしまう。年齢かもしれない、健康の問題かもしれない、自分の能力が衰えて世間についていけなくなったときかもしれない。あらゆる可能性を考えていたが、まさかこんな形で仕事がなくなるとは夢にも思わなかった。全国の、いや全世界の自営業者が同じ思いだったはず。


事務所に風呂のない私は、普段通っているジムを風呂替わりにしていたので、そのジムすら休業を余儀なくされ、さすがに困っていた。そんな渦中にあって、ありがたいことに銭湯というライフラインだけは時短や自粛はしておらず、都内の銭湯はどこも通常営業していた。


飯田橋まで小用があったので、帰りがけに銭湯によろうと江戸川橋方面へ足を向けた。江戸川橋の竹の湯は、以前神楽坂に事務所を借りていた時よく通った銭湯だ。まだ営業しているだろうか。最近では銭湯も建て替え・修築をしてまるで高級スパのような銭湯もある。改装直後の青山にある清水湯に行ったときは驚いたものだ。こんなに広くて綺麗なのに500円?日本って素晴らしい、と感動したもので、現在の竹の湯はどうなっているだろう。コインランドリーに併設された入口の暖簾をくぐり、木札を引き抜く下駄箱に靴を収め、一歩敷居をまたぐとミシッと床がきしんだ。その全てが昭和を引きずる竹の湯は、相変わらず時が止まっているようだ。以前来た時から何も変化していない。


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番台に座るおばちゃんに料金を払おうとしたその時、おばちゃんが唐突に自分のつけているマスクを指さして「マスク」と言ったのだ。自分のマスクを指さして「マスク」って、そりゃそうだろ。何を言ってるんだ。どうリアクションしていいかわからず、とりあえず500円玉をおばちゃんの目の前に置いた。するとおばちゃんは両手で机をバンバンっと力を込めて叩き「マァ・スゥ・クゥ」と大きく目を見開いて私を睨みつけた。数秒の空白を挟んで、理解した。マスクをしていない私にマスクをしろというジェスチャーか。


この頃の私はマスクをするしないの基準は明白にしていた。他人の私有地ではする、公共の場ではしない。飲食店などの店舗、または個人宅でのマスク着用のお願いはさすがに断ることはできない。その場を利用させてもらっている立場だからだ。けれどバス・電車などの公共の場では絶対にしないと決めている。私はそもそも、マスクなんぞにウイルスに対する防衛機能なんかあるかバカという立場だが、私が我慢してマスクをすれば場が収まるなら喜んでマスクをする。そこまで独りよがりな考え方でないことは強調しておきたい。


だが、だがしかし。

聞くところによると、小中学校では部活も体育もマスクを強制され、運動会も文化祭も、修学旅行ですら自粛を余儀なくされているらしい。これを聞いて愕然としてしまった。本当に心の底から申し訳ない気持ちでいっぱいになった。大半の大人もマスク着用に関しては複雑な思いだろう。同調圧力で何となくつけていたり、本気でマスクで防衛しているつもりの人もいるだろう。どちらにせよ、子供にまでマスクをさせて学校行事を自粛させるべきかなのか?と問えば、多くの大人はNOと答えるはずだ。

じゃあ、どうしてこんな狂ったことが起きているのか。それは私たち大人が何も考えずにマスクをつけ、それを見た政治家がこれが大勢と判断して「子供を守る」という大義名分で子供の抑圧に走っているからだろう。選挙権のない子供たちは文句を言う機会さえ与えられない。

いつの時代も大人の欺瞞の皺寄せを食うのは子供たち、若者たちだ。これは戦時中のそれと全く同じである。行き過ぎた国家主義と天皇崇拝を心のどこかでおかしいと思いながら同調圧力に屈した結果、若者を戦地に送り、あまつさえ特攻までさせた。まさにこの構造と同じ。

大人の小さな欺瞞が巡り巡って子供たちへ理不尽な強制をさせる。大人たちの同調圧力への敗北が結果として子供たちに不自由を強いる。当の大人がそれに気づいていないことが最大の罪だ。子供たちに「黙食」という虐待を強いているのは、一人一人の善意の大人たちであることは忘れてはいけない。私はこの揺るぎない信念の元、絶対に公共の場でマスクはしないと決めている。私は若者を戦地に送るような大人には決してならない。



「マスクが・・・・・どうかしましたか?」
私はわかっていてわざと聞き返した。


私の中では、銭湯は公共の場だ。ゆえにマスクなどしない。だがここを店舗の私有地と考える立場もあることは認める。認めた上で言わせてもらう。今日初めて会ったお客様に対して、なんだその無礼な態度は。マスクを着けてほしいならマスクを着けてくださいとお願いすべきだろう。マスク着用は義務でも強制でもない。


「マァ・スゥ・クゥ」
どうやら民主主義の根幹である対話を拒否しているようだ。この国はいつマスク至上国家になったのか。マスクをしない非国民にはどんな差別的態度を取ってもいいらしい。イライラが止まらない。


「マスクが・・・・なんだ?あっ?」
怒りはできるだけ抑えてる。が、このババアはお構いなしに畳みかける。


「マァァ・スゥゥ・クゥゥ」
壊れたロボットのように「マ」と「ス」と「ク」しか発しない番台のクソババア。


「マスクをつけてください、だろーが、それは他人に物を頼む態度じゃねーだろ」
壊さない程度に番台を蹴っ飛ばして、そのまま振り返って銭湯を後にした。このババアは時代が違えば嬉々として天皇万歳を叫んで若者を戦地に送り、怯む若者を非国民と揶揄するのだろう。



思い出の銭湯がこんな形で上塗りされてしまうなんて。


番台に置いた500円、置きっぱなしで出てきちゃったよ。。


あぁ、コロナが憎い。

2020年6月某日

千葉駅から総武快速で東京駅まで40分、そこから丸の内線に乗り換えて赤坂見附までおよそ10分。すっかり通い慣れた千葉から赤坂までの通勤ルートだ。

赤坂見附の改札を出て、事務所のあるB出口まで続く地下道を直進していると、向こうからスーツを着たオジさんが私の顔をずっと凝視しながら歩いてくる。むしろ睨みつけながらと言った方が正しい。マスクで顔の半分は隠れているが、目元の顔と全体の雰囲気はあの吉村卓にそっくりだ。

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日本男児の知名度なら右に出る者はいない、あの吉村卓だ。吉村卓に見つめられる理由など一つもない私は、ただの気のせいだとスルーしていた。見ているのは向こうではない、吉村卓に反応している自分の方なんだと言いきかせる。できるだけ目を合わせないよう下を向いていたが、距離が近づくほどその視線が強烈になるのがビシビシ伝わってくる。明らかに私を目で追っている。そしてすれ違いざまの瞬間、パッと目が合ってしまい、あろうことか鬼の形相をした吉村卓が私の真横で立ち止まったのだ。つられて私も止まってしまった。距離にして2mくらい、私の方へゆっくり近づいてくる。手を伸ばせば触れられるパーソナルゾーンまで来ると、突然手の甲を向けてその手を振りだした。

?????

混乱したもののすぐに意図は汲み取れた。いわゆる「シッ、シッ、どっか行け」の所作である。



コロナによる緊急事態宣言が発令されて2か月、完全都市ロックダウンされ街から人の気配が一掃されていたものの、解除後の6月に入るとチラホラと人が出歩き始めていた。もうこの頃になると店舗や公共機関でもマスク着用を促し、マスク着用は必須という雰囲気が街中に漂っていた。折しも志村けんがコロナ感染で亡くなったことも拍車をかけただろう、もはやコロナはペストに匹敵する死の病という扱いだ。

何かと中世のペスト騒動と比較されるコロナだが、中世ペストは感染率が30~40%で、その致死率はほぼ100%。全ヨーロッパで3人に1人は感染即死亡という恐ろしい感染症だった。コロナがペスト級なら身内や友人が3割死んでいるはずだ。私の親兄弟も必ず1人は死んでいる。身近な人間が3割死んだら大事件だが今のところ私の周りは誰も死んでいない。PCR検査でコロナと認定された知り合いはたくさんいるが、死ぬどころか重症で入院したという話も聞かない。

私はマスクをしないしするつもりもない。そもそもコロナが危険な感染症だということ自体疑っている。私がマスクをしない理由はただこの1点に尽きる。



それでも、まだこの6月の段階では頑なに反マスクというわけでもなかった。なんとなく疑義があったからなんとなくマスクをする習慣がなかっただけ。吉村卓の「シッ、シッ、どっか行け」の所作も、なぜそんなことをされているのか瞬時に理解できなかった。ハッとそのなぜを理解したものの、それと同時にマスクをしてないだけでなぜこんな無礼な態度を取られにゃならんのか、そんな怒りがとめどなく込み上げてきた。


少しでも手が触れたら右ストレート、と決めた。


警察を呼ばれたら正当防衛の一択で乗り切る。しかし私に正対する吉村卓のシッシッの手は一向に当たる気配がない、しかしやめる気配もない。どうしたらいいんだ、このマヌケな状況。私はこの空気に耐えられずとっさに吉村卓のおでこに向けて、デコピンしてしまった。

「うわぁぁ、うわぁああああ」

デコピンをされた吉村卓は雄たけびとともに数歩後ずさり、私に一瞥をくれて立ち去ってしまった。こういった輩をこの後「マスク警察」と世間が呼称することになるが、それはまだ先の話。

デコピン。対処の仕方はこれで良かったのだろうか。いまだに悩んでいる。

高校生活も中盤、父との2人暮らしが始まった。それまで家事全般は全て母がやっていたので、家事などできるはずもなく、そしてやる気もない。むしろそんなことは母親がやるものという認識すらしていた。困ったことに父は潔癖症一歩手前、重度の綺麗好き。そこにこんな生活力ゼロの子供がやってきたので、さあ大変。父のストレスたるや、相当なものだっただろう。掃除といえば、埃や髪の毛が目に見えるギリギリまでやらないわ、父が懸命に「頼むから米くらい炊けるようになってくれ」と半泣きで米の炊き方をレクチャーするも全く関心が向かない。生活意識の高い人間にとってそれ以下の人間との共同生活は苦痛以外の何物でもないだろう。それでも父はストレスだらけのオフィスワークの合間、朝夕の食事はおろか弁当まで毎日欠かさず作ってくれた。おんぶに抱っこのダメ高校生に、まだまだ親のありがたみはわからない。


受験した大学に全てスベった私は、一浪して都内Fランク大学に滑り込んだ。Fランクのくせに白金というセレブな立地なのが売り物の大学であった。しかし入学金を払った後、1・2年時は戸塚校舎に通学しなければならないことが発覚した。トツカ?一体どこなんだ?地図で調べると東海道線で横浜のさらに先。家から片道2時間、とても2年間耐えられそうにない。父はそれを察してか、仕送りをするから大学の近くに下宿しろと私の期待通りの提案をしてくれた。学費を払ってもらう上に仕送りまでしてもらう。つくづく親不孝者である。そんな親の苦労など知ったことではない私は、親のふんどしで親元から離れるという長年の夢が叶う喜びで一杯だった。


戸塚で生活を始めて、しばらくして母から電話があった。

「会ってもらいたい人がいるの」
「誰に?」
「統一教会の青年部の人がいるんだけど、太郎君の話をしたら是非会いたいって・・」
「ほぉ」

今まで母が私に積極的に入信を勧めたことは一度もない。私の率直な感想は「何を今さら」である。それまでの経緯を踏まえれば統一教会に対して良いイメージなどあるはずがない。むしろその辺の一般人より悪い先入観すら持っている。私に入信を勧めるなら何もわからない幼児期にするべきじゃないのか。私も、もう19歳。母よ、あまりに後手では?その申し出を丁重に断ろうとした矢先

「太郎君と同じ年齢くらいの女の子よ」

話は変わった。会うだけ会ってみようじゃないか。電話を切って一息。美人だったら入信してもいいか。母もちゃんと思春期男子の懐柔方法を心得ているようである。

事前にメールでやり取りして、一度食事をしましょうとのことになった。千葉駅前のコンビニ前で待ち合わせる。メールの文面は非常に几帳面かつ丁寧、好印象しかない。嫌が応にも期待が高まる。私は両親の離婚以降、自分の人生は統一教会と避けて通れない運命を感じていた。書籍を買い込み、自分なりのアプローチで来たるべき時のため準備を怠らなかった。巷で販売されている統一教会関連書籍は、ほぼ批判・糾弾するものばかりで、どれだけエグい団体かは書籍を通して頭に入れていた。今日、目の前に現れる統一教会の手先が美女であればあるほど、悪の団体に所属しているというギャップに萌えてしまうかもしれない。数年前に世間を騒がせた霊感商法なんて意外と当事者は知らないんじゃないか。それなら食事の席で全てを暴露して脱会させてしまおう。そして目覚めさせた私をきっと恩人と感じてくれるはず。あぁ、妄想が止まらない。



千葉駅から歩くこと数分、待ち合わせ場所のコンビニ前で女性が立っているのがぼんやり見える。たぶんあの女性だろう。


距離100メートル。


顔までは見えないが女性のシルエットははっきりわかる。とりあえず、大きい。私は決してモデルのような細身の女性が好きなわけではない。私はそういった女性に対しても「ぽっちゃり」という褒め言葉も知っている。しかし、シルエットだけで美人でないことがバレている。


距離50メートル。


その大柄の女性は眼鏡をかけている。今でこそ眼鏡は市民権を得ているが、1990年代、美人は眼鏡をかけない時代である。失礼は承知だが、あえて言おう。デブメガネ。私の足取りは急に重くなる。


距離10メートル。


息を呑んだ。全く気付いていなかったがそのデブメガネの両脇にモヤシのようなガリガリ男が2人立っている。あの3人の距離間はどう考えても知り合い同士だ。

どういうことだ?
2人で会うのでは?
え、もしかしてこのモヤシは護衛?
何かあったときのための護衛?
何かって何?
このデブメガネと何かあるとでも?

妄想の中でこのモヤシ野郎を半殺しにしている自分がいた。



私も人に負けないくらい当時はガリガリだったが、少なくとも弱そうに見えないための工夫はしていた。身体を鍛えるなんて発想がないかわりに、細身の体形がバレる服を着る時はできるだけオシャレに、そうでないときはできるだけダボっとした服装をして体形を隠すようにしていた。なのに、このモヤシ野郎はなんだ。2人ともメガネをかけている。そして極め付けはボーダーのTシャツ。ガリでメガネにボーダーは、それはもうのび太君だろう。このスタイルで押し通すには相当なオシャレ指数が必要である。一般人にとって最もやっちゃいけない悪手。両脇の2人を認識してから中央に視点を定めると、もはやジャイ子にしか見えない。


距離0メートル。


それからの記憶は途切れ途切れの断片的でしかない。脳は嫌な記憶を「忘れる」という機能を、生存本能として持っているそうだ。その本能がフル活用されたことは間違いない。焼肉屋で食事をして、そのあと車に乗って、そう、あの祭壇のある部屋へ行った。その後の記憶は全くない。なんだかんだと会話したのだろうが、憶えているのは「早く帰りたい」と終始思っている自分だけだった。



私の一回り上の世代では各大学に原理研究会(原理研)と呼ばれるサークルが必ずあったらしい。一皮剥けば統一教会の布教グループで、絶対に関わってはいけないと学内でもっぱら噂されていたそうだ。時を同じくして、美女に声をかけられうっかりついて行こうものなら謎の高額絵画を売りつけられたり、現世救済の代わりに高額な壺や水晶を言葉巧みに買わされるという事件が社会問題になっていた。買う方が悪い、という至極まともな感想では済まされない。少なくとも社会問題に発展している時点で、相当の情報弱者たちが統一教会に取り込まれていたのだろう。


マキャベリの君主論によると人の懐柔手段は金か女だそうだ。そのどちらかで必ず人は落ちると書いている。私は心の弱い人間なのでどちらでも落ちてしまうだろう。Fラン大学生に高潔なんてあるはずもない。そう、簡単なんだよ。それなのに、なんなんだこの仕打ちは。大学のサークル勧誘だってそのサークル内の精鋭美女を前線配置するのに。


それ以降、私と統一教会との決裂は決定的となってしまった。


「太郎君、青年部の子たちどうだった?」
ノリノリで電話をかけてきた母に対して本音など言えるはずもない。
「うん、楽しかったよ・・・・」

私の闘いはまだまだ続く。

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