アイメイク至上主義の時代
さて、いよいよ浜崎あゆみを模範としたアイメイク中心時代の到来である。なぜメイクの重点が「目」へシフトしていったのだろうか。私見を述べると、浜崎あゆみのストロングポイントが「目」であり、彼女がアーティストとしてステップアップしていくにつれアイメイクも濃くなり、それが世の中に受け入れられていった結果ではないだろうか。そして決定的な部分として、浜崎メイクをすることによって誰でも浜崎あゆみになれるということ。厚化粧な故にメイクを真似るとかなり浜崎に寄せれる、という事実(ついでに整形でもすれば完璧)。安室奈美恵と違い息の長い流行が続いた理由がこれだろう。当時夜の歌舞伎町に浜崎あゆみ似のキャバ嬢が大量に生息していた、という事実だけで勝手に推測してるだけですがね。

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-「囲み目」
アイメイクに力点を置く00年代のメイクはとかく目周りを派手にする方向性が一貫して続いた。その一つにアイラインを太く、そして目の下までパンダのように囲んでしまう技法が誕生。自分もちょうどこの頃仕事を始め、目の下のラインは入れるか入れないかではなく、どれだけ入れるかという発想だった。目のキワだけにとどめるか、それとも全部囲ってしまうか。それくらい当たり前だった。さらにこのブラックラインを際立たせるためにあえてその内側に白いラインを入れるということもしていた。現在のメイク手法でも目の下のラインは有効であるが、黒ではなく柔らかいグレー及び茶色でさりげなく引くことが主流である。

-「まつ毛」
90年代後半から各メーカーがマスカラのラインナップを急速に充実させ、ロングだカールだボリュームだと、もはやその製品の違いなどわからないまで多様化していった。まさにマスカラが市民権を得たという具合だ。2000年初頭、仕事で女子大生をメイクした時、一通りメイクし終えると「あとは自分でやりますから」と一言いい残し、隅っこで鬼の形相で鏡と対峙しマスカラを塗り続けていた女の子を今でも忘れられない。マスカラを知っていれば理解してくれると思うが、マスカラは落とすのが大変だ。ウォータープルーフなど使った日には帰宅時にはガビガビのヒジキのようになる。グリグリと力任せにクレンジングしてまつ毛を抜いてしまうということが多発。それをビジネスチャンスと見たか00年代中盤から「まつ毛エクステ」というまつ毛そのものを移植してしまうという画期的技術が登場し、その手間の楽さもあり急速に普及。マスカラはどんどんと影を薄めていくことになる。

-「ヌーディーリップとグロス」
アイメイク至上主義の延長である。「真っ赤なルージュ」はバブル時代に流行ったコピーだが、この時代では唇と眉はアイメイクを引き立たせるため「引き算」の発想が働き、できるだけ薄くしていくことが命題とされた。その結果薄いピンク、もしくは肌色に近いベージュを塗るのが主流となり、明確なリップ色は「ダサい」という風潮となる。色という選択肢が削がれた結果、質感で押そうとする動きがあらわれ「グロス」が大流行した。とにかく唇はテカテカ。口紅よりも色付きグロスの所持率が上回った時代である。


ファッション雑誌バブル
ファッション雑誌が乱立したのもこの時代の特徴である。若者のファッションスイッチをこれでもかと煽り続け、そしてそれが飛ぶように売れた。CanCamとViViのターゲット層の違いなどまるでわからなかったが、吉野家に対するまつ家、セブンイレブンに対するローソンということで当時は無理矢理に理解した。そして雑誌の表紙を飾るモデルたちのメイクは結局のところ浜崎あゆみの敷いたレールから逃れることはできなかった。それだけ世の中に受容されたモードの「顔」だった。


メイク用品の低価格化
この顔が普及した要因はアイメイク用品の低価格化と熱電源器具(ヘアアイロンなど)の進化である。メイク用品はそれまでデパート1階ブランド化粧品のことを指し、ある一定の収入がないと手にすることができなかった。それがドラッグストアで手軽にメイク用品が販売され、100均で全てのメイク道具が揃うまで時間はかからなかった。この商品供給側の努力は、若年層のメイクへのハードルを劇的に下げ、小中校生にまでメイクは浸透し始める。それに輪をかけて小学生向けファッション雑誌も乱立し、小中学校の生活指導教員の苦悩をよそに、世の中の大人たちは容赦なく小中学生に販路を開拓。それを真っ直ぐと受け止めた女の子たちは幼くして化粧にうるさいプチ美容家となっていった。




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浜崎あゆみ
00年代は彼女に始まり彼女で終わったと言っていい。一般女性のメイク技術の底上げと空前の水商売ブームに支えられ、浜崎スタイルは様々の派生形を生み美容隆盛時代を築いた。安室奈美恵を「陽」とすれば、浜崎あゆみの「陰」が長く命脈を保てたのは「陰」側に共感する一般女性が多かったという証明だろう。





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浜崎あゆみ派生系‐① 倖田來未
浜崎に続くエイベックスの刺客。浜崎あゆみの美白に対をなすような小麦色・小顔路線で、安室奈美恵に浜崎スタイルを当てはめたらどうなるかという答えを提示した。日焼けサロンの売上が回復するほどの盛り上がりはないものの、若年層へ一つの選択肢を与えることに成功。しかし本人は本業で浜崎あゆみを超えることは遂にできなかった




2005年10月号

浜崎あゆみ派生系‐② CanCam系モデル
山田優・蛯原友里・押切もえの3トップで展開された。水商売にベクトルが向かない女子大生・OL層を潜在顧客として囲い込み、モデル側からアーティスト側へ一撃を加えることに成功。水商売臭をできるだけ削ごうとしているが、メイクの作りは浜崎スタイルと何も変わらない。尚、押切もえはこの雑誌の専属モデルになったことで90年代に「egg」誌でエッグポーズをしていた過去を消そうとしている節がある。




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浜崎あゆみ派生系‐③ 小悪魔アゲハ系キャバ嬢
安室進化系であるマンバギャルを彷彿とさせる浜崎版「行き過ぎた進化」であったが、これが史上空前のキャバクラブームを牽引する雑誌となる。それまで日陰の職業であった水商売が堂々と陽の当たる世界へ進出し、一般女性が彼女たちをお手本とした。将来なりたい職業ランキングに「キャバ嬢」がランクする狂気の時代であった。イベント事ともなれば、一般女性たちがアゲハの切り抜きを美容室へ持ち込み、キャバ嬢定番の「盛り髪」をオーダーすることが当たり前となる。しかしキャバ嬢バブルも00年代が終わるとともに終息し、今では完全に過去のものとなった。なお、キャバ嬢バブルの崩壊はスマホの普及と綺麗な対曲線を描いており、何らかの因果関係があると見ている。





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「盛り髪」ブーム
女性が初めて他人に髪をセットしてもらうのは(七五三を除けば)成人式で振袖を着る時だろうか。大人になれば冠婚葬祭で正装する機会も増え、ヘアスタイルやメイクをしに美容室を訪れることも徐々に増える。それでも年に数回あるかないか、人生で指折り数える程度のことだろう。しかし前出のキャバ嬢ブームの到来で、コンビニバイトの気軽さでキャバクラでバイトできる世の中となり「メイクさんにヘアセットしてもらう」ことが珍しいことではなくなってしまった。そうしてヘアセットに対する目がどんどん肥えていった結果、20歳そこそこのお嬢さんが美容師たち(明らかに年上)に鬼のようなダメ出しをする、という光景が頻繁に繰り広げられていた。




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盛り髪は、それ自体が非常に難易度の高い髪型でありながら、作り手のアレンジの幅も大きく、尚且つ受け手の選り好みもとても大きいという非常に厄介な髪型である。つまり作り手が完璧に仕上げたつもりでも、お客の好みと合わなければ「下手」の烙印を押されてしまう。人類の歴史上ヘアアレンジ技術が最も高難度化した時期、と間違いなく後世に伝えられるだろう。現在では全くと言っていいほど死滅してしまった髪型であり、今の若手美容師は盛り髪を作らなくても商売になるということが、ただただ羨ましい。




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偶像の集団化現象
AKB48などに象徴される1人1人の実力不足を徒党を組んで誤魔化すという潮流が始まる。若い女の子がたくさんいると何となくみんなかわいく見える、という普遍真理を応用したもので、読者モデルという存在が幅を利かすのも同時期であり、流行を主導する圧倒的スターが現れない時代へ移行していく。スターを必要としないのか、それともただその実力者がいないだけなのか。SNSメディアの発達によりメディア側の意図するスターが生まれにくい時代となったことは確かであろう。SNS時代の到来で若者はテレビを視なくなり、雑誌は次々と廃刊に追い込まれメディアが国民を誘導できない世の中でネットの住人が露出し発信していく時代。様々な選択肢が提示され個性と多様化が一気に推進される・・かと思いきや。皆が「均質化」していく10年代が始まる。