506機関

夜な夜な酒と議論を交わす月読ジャーナル

2019/07

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現在進行形で起こっているあらゆる現象を説明するためには歴史上の出来事抜きには語れない。例えば鎌倉幕府。そんなもの知っていようがいまいが生活には全く支障がないけれど、日本の政治機構の流れを説明する上では避けて通れない。頼朝がいなかったら未だに皇族と一部の貴族が政治をしていたかもしれないし、室町→江戸→明治維新の流れも存在しなかったかもしれない。そういう意味で日本史の最重要語句に指定されている。逆にその時代にどれだけ有名であろうと後世に残らない人物や事象というのもたくさん存在する。例えばモーツァルトのお姉さん。演奏能力では遥かにモーツァルトを凌ぎ、尚且つモーツァルトの楽曲ほとんどのオーケストラ編曲を担当している。モーツァルトの曲はお姉さんとの共作と言ってもいいくらいで、専門家筋ではモーツァルトより凄いんじゃね?という評価らしいが、残念ながらモーツァルトほどの歴史的人物にはならなかった。歴史の教科書には載らない「スゴイ人」はたくさんいるけれど、その時代の価値観、世界観を変えるインパクトがないと残念ながら後世には残らない。そういった具合で、単語を切り取って覚えるよりもその出来事の前後で時代がどう変わったかを検証していくことが歴史科目の醍醐味なんだけど、社会って科目はどうしても暗記傾向になりがちなのは仕方ないことなのか。

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マリア・アンナ・モーツァルト (愛称:ナンネル)
礼装のヘアスタイルが大きいほど正義だった1700年代ヨーロッパ



さてここまで書いた上で、自分が考える歴史に名を残す条件「その前後の価値観を覆し、現代に至る一石となる」を全く覆す「え、なんでお前が教科書に?」という用語をたまに見つけてしまうから、さあ大変だ。特にこの人は何度教科書を読み返しても唐突感が否めないし、歴史上の文脈から見ても完全に浮いてるなぁという印象しかなく、常々彼には注目していた。それが「墨子」という人だ。


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2006年に映画化されているらしい
ちなみに原作では敵は10万ではなく2万、挑んだのは1人ではなく2000人
盛り具合は、さすが中国



中国の戦国時代(紀元前770~前221年)、たくさんの学者が現れては多種多様な中国土着の思想が作られた。孔子様が作った儒教、老子様が作った道教が特に有名で、儒教はその後の王朝で国家公認の官学となり、道教は民間信仰として根付き、その後の中国人の根幹的思想となっていく。墨子が作った墨子思想もこの流れの中で現れる。キラ星のごとく優秀な思想家たちの中において墨子思想はひときわ異質、不自然なんだ。墨子思想を辞書で引くと

「兼愛」「非攻」のような理想主義的な平和思想

と書かれている。隣人を愛して戦争をやめましょうって、なんだそれ。一時期の社会党みたいなものか。戦争はよろしくないから軍事力を捨てよう、などと唱える怖ろしい危険思想の集団だ。そういった口だけの絵空事を声高に叫ぶ奴はいつの時代にもいる。なんでこんな思想とも呼べない理想主義が歴史に名をとどめているのだろう。戦争だらけの戦国時代で唱えるのもわからないでもないけど、実効性があるとも思えないし、全くもって謎でしかない。一番不可解なのが儒教、道教と重要度で肩を並べる御三家扱い。いや、なんでだよ。このモヤモヤをいつか晴らさで置くべきかとチャンスを伺っていたんだが、「墨攻」(酒見賢一著)を読んでやっと解消することができた。



当初墨子は儒教の一派へ弟子入りしたんだが、儒教の徒たちが学問を公権力と結びつく道具とし、戦争を煽ることしかしない現状を憂いて離反、反儒教として自分の教団を立ち上げる。墨子の非攻は武力を放棄するんではなく、逆に当時最高水準の武力を保持する最強武装集団を目指した。墨子は弟子とともに墨子教団を形成し、城攻めから城を守る「攻城戦」に特化したプロとなり、城攻めされている城主から救援依頼があればどこへでも助っ人として参戦する。つまり傭兵業を生業とするようになったんだが、傭兵と異なるのは依頼を無償で受けていたこと。この無償奉仕こそ思想家として墨子が後世に伝えられている理由でもある。もちろん寄付で教団は運営されていたものの、救援に関して報酬を求めない。その防衛成功率は5割以上。城主が外部に救援を求めるのはほぼ勝ち目がゼロの時に限るので、その防衛率の高さは驚愕に値する。今で例えると、アメリカがブータンへ武力侵攻してブータンを2回に1回以上勝たせるようなものだ。これは大げさな例えではなく、当時戦国時代の大国からの侵攻を小国の城主が撃退するというのは同じようなものだと思う。

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高い城壁をを攻略するための「雲梯」と「井闌車」
攻城戦は基本的には攻める方が圧倒的不利
これだけ攻城兵器の開発合戦をしても
最も城を落とせる作戦が「内通者に開門させる」だし



専守防衛のために武力保持をすることはあっても、その武力を積極的に弱者のために利用するなんてことはまずありえない。武力集団が他国へ侵攻しなかったことは歴史上一度もない。宗教勢力の武力はほとんどの場合、体制側と妥協するためか自分たちが体制側に取って代わるかという下心からくるものだから。こういった無償で平和に貢献する軍事集団ってソレスタルビーイングしか知らない。どうやら墨子集団の幹部各人が太陽炉を持ったガンダムということらしい。アニメでなくとも、こういう綺麗事を実際にやってのけてしまう歴史上の偉人は少ないけれど存在する。王陽明や大塩平八郎、吉田松陰、田中正造あたりがそうだけど、やっぱり個人の活動では限界がある。彼らに大国の侵攻は阻止できない。墨子教団は思いつく限りの綺麗事を不言実行している実力集団とでも言おうか。

最強の知力・武力を持って弱者側の味方になり平和の均衡状態を保つ。しかも無償奉仕。これが墨子思想。反戦平和・反権力・弱者保護を叫んで、それを実行する気も能力もない輩たちと墨子を同列に考えてしまって本当に申し訳ない気持ちで一杯だよ。物語終盤、墨子教団の首脳部が秦と手を組んで中華を制覇しようという野望を企む。それは墨子思想の中核である反権力、弱者保護と大きくかけ離れると主人公革離は徹底して内部批判をする。このあたりで作者は墨子集団が消滅した遠因を暗示させる。のちに秦の始皇帝が中華統一した際に採用した思想が儒教の流れを汲む「法家」だったからだ。墨子教団は戦国時代が終わってから跡形もなく消えてしまい、その後同じような考え方は現れても(宗教団体は大概平和平和と叫ぶ)それを体現できる集団は一度も現れなかった。「その前後の価値観を覆し、現代に至る一石となる」という条件に墨子思想は全く合致しない。でも、なんか、墨子が世界史の教科書に載っている理由が少なからず分かった気がする。残さねばならない人、だろうか。俺が教科書の編集するなら必ず残す。革離は墨子のことを子墨子と敬称で名前を挟む(子は日本語の"様")最上敬称で師匠を呼んでいた。こういう凄い人と出会えるのも歴史の醍醐味か。俺もこれから子墨子をリスペクト。



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漫画版「墨攻」
どうやって数万の大国の兵を数千の農民兵で撃退するか、職人芸的攻城戦を存分に楽しめる一冊。墨子集団のエース、主人公の革離が大国に睨まれ陥落寸前の城に派遣され自らの命と引き換えに見事守り抜く感動巨編







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人生でいつか生粋のドイツゲルマン人と話す機会があったら聞いてみたかった「ドイツ人はヒトラーをどう思ってるんだ?」という疑問。とうとう先日そのチャンスが訪れた。日本語ペラペラの親日ドイツ人女性にこの質問をストレートにぶつけてみたところ、残念ながらあっさり話題を変えられて話をはぐらかされてしまった。

日本では戦後、戦争の悲惨さを前面に押し出した「自虐史観」と呼ばれる初等教育がなされ、児童に配布される歴史図録には、松岡洋右が怒りの表情で議場を出ていく写真やら(国際連盟脱退)、松岡洋右とヒトラーの記念写真がクローズアップされ(三国軍事同盟)、炎上する米国艦隊や怪我で看護される米国兵の写真を載せ(真珠湾攻撃)、いかにも悪そうな表情の日本兵の写真ばかりを載せてみたり(南京大虐殺&731部隊)。今考えれば笑ってしまうほど、ある特定の方向の思想へ誘導していることが見え見えの教科書だった。それでも直接的に「日本が悪」と言わないあたりが何ともいじらしい。そんな中、偶然にも「火垂るの墓」の大ヒットでこういった自虐史観はダメ押されてしまった。子供はアニメに弱いからなぁ。後に世界史に触れて、日本とはあまりにもスケールの違う悪行をやりまくる西欧諸国の歴史を学び、違う方向で悪すぎる共産思想というものを知り、自分が幼少時の教育方針はその赤い思想に染まった人たち(日教組幹部の大半が共産党員だった)が決めていたことを知った。

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ちょび髭が全世界的に流行していた。なぜだ。

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南京大虐殺の名シーン
後ろの日本兵がうっすら笑っている写真をチョイスするあたりが秀逸


ドイツはどうなんだろう。サッカーのFIFAランキングくらい日本とはスケールの違う戦争を仕掛けたドイツは。あのドイツ人女性はどういった教育を受けて、それをどう解釈し、どう乗り越えたのだろうか。で、タイムリーにも「帰ってきたヒトラー」という映画を先日たまたま深夜放送で見た。ざっくりあらすじを説明すると、ヒトラーはドイツの敗戦が決定的になると地下要塞で奥さんと拳銃自殺を遂げるんだが、その自殺した直後に現代へタイムスリップしてくるというお話。前半はスマホやパソコン、薄型テレビ、セグウェイに乗る子供たちなど、現代テクノロジーに触れて動揺しまくるヒトラーをコメディタッチで描いていく。常にあの演説口調で人に話しかけるものだからコメディアンだと勘違いされて町の評判になり、テレビ局にスカウトされてたちまちテレビの人気者になっていく。後半では、ヒトラーが新聞やネットニュースで猛勉強に励み、あっという間に現代ドイツ情勢を理解して、自分の立ち位置を確立しながらメディアで喋るようになる。「この幸薄そうな太ったババアにドイツが仕切れるか、国家社会主義を全く分かっとらん」みたいな、ヒトラーだったらいかにも言いそうなセリフを連発する。そして独特の催眠術にかけるような演説でたちまち視聴者を虜にして、プロデューサーは大喜びで彼を道化に仕立て上げるんだが、もはやヒトラーをお笑い芸人として見ない人も徐々に出てくる。ディレクターが彼を自宅に招待した折、家にいる戦時中を知るお祖母ちゃんが悲鳴をあげて「こいつはヒトラーだ!悪魔だ!」と叫ぶシーンでハッとなり、やっと自分たちテレビ局が危険なことをしているんだと自覚するあたりで、ヒトラーの恐ろしさがジワジワと視聴者にわかるように描かれる。

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桂文珍の創作落語「心中恋電脳」みたいなシーン
「猫も杓子もマウスかいな、窓際で働いてるのにウインドウズはないでぇ」


日本の歴史上の人物でヒトラーと同じくらいヤバいやつを考えると、織田信長しか出てこないんだけれど、現代人の織田信長に対するイメージは最大公約的に「スゴい人(よくわからないけど)」、いや、なんなら「カッコいい」というイメージすらないだろうか。信長は知れば知るほどヤバい奴なんだけど、日本人のイメージは概ね好意的だと思う。現代に信長がいたらこんな善政をするって言う学者もいるし。信長のコスプレして、信長口調で喋る人(そんなのがあるなら)が突然現れても、変な人ではあれ、決して面白くはないだろう。印象的だったのが、映画の作中でドイツ一般人たちのヒトラーをみた反応が一様に「コメディアン」だと決めつけたこと。ドイツ人はナチスやヒトラーを悪魔的なものだったり、突発的に出てきた亜種でドイツ本来のものではない、とそれらを切り離して考えている、と巷の論評で聞いたことがある。これは日本人が戦前の軍部をどこか遠い存在に感じるのと同じ理屈のような気もする。今の日本の政治家や自衛隊がアメリカに喧嘩を売るとはとても思えないから。映画の中でのドイツ人がヒトラーを見て「お笑い」を感じるのはそういう思考なんじゃなかろうか。日本でも右翼は「お笑い」と親和性が高い。「天皇万歳」とか「欲しがりません勝つまでは」とか戦時中の標語ってちょっと面白いもの。

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CDも買ったしライブもよく行ったなぁ。俺の青春は鳥肌実なくして語れない。


戦争仕掛けたり、他民族を虐殺したり、他国を植民地化するなんてどこの国も当たり前のようにやっていた時代で、ヒトラーがこれだけ歴史上注目されているのは、英米連合国軍に喧嘩を売ったことでも、ユダヤ人を虐殺したことでも、ドイツの隣国を併合したことでもない。ヒトラーの歴史的意義は「民主主義の中から誕生した独裁者」という一点で間違いない。細かいことをいえばフランス革命時にロベスピエールという独裁者が出たけれど、あっという間にギロチン送りにされたのでこれは除外する。ヒトラー誕生の経緯はとても意義深い。「ベルサイユ体制打破(英・仏潰す)」「共産主義の危機(ソ連潰す)」「ユダヤ人排斥(殺す)」はどれもナチス党の選挙公約で、これを掲げて堂々と選挙で最大議席を獲得してる。きちんと教科書にそう書いている。そういう視点で見ると、ヒトラーはちゃんと選挙公約を守ってる立派な政治家とすら感じてしまう。ドイツ人はここのポイントをどう捉えているんだろうか。どう教育し、されているのだろうか。ユダヤ人を殺したのも世界大戦を起こし他国を蹂躙したのも、全てドイツゲルマン人の「民意」であるということを。王政という独裁をこの世から抹殺するためにヨーロッパを起点に西回りで民主主義、左回りで共産主義が普及したわけだけど、共産主義からスターリン、毛沢東などゴリゴリの独裁者が誕生した手前、西側諸国は一層ヒトラーが許せないんじゃないだろうか。ヒトラーを肯定してしまうと、民主主義は独裁者を生むことを肯定してしまうわけだから。

映画に話を戻すと、テレビ露出が増えたヒトラーが極右政党の会合に呼ばれて、そこのメンバーを全員論破するくだりで、そこからどんどん崇拝者が現れ始めて、とうとう選挙へ担ぎ出されるシーンで映画は終わるのだけど、ヒトラーがとても魅力的で優秀な政治家であることを前面に押し出すことで、逆に恐ろしさがジワジワくるという秀逸な脚本だった。日本の民主主義の中でも、忠実にヒトラーの政権掌握過程を真似るだけで自分でも独裁者になれるんじゃなかいと思えるくらいヒトラーの戦略はキレキレだった。教科書のヒトラー年表を見るだけで本当にワクワクしてしまう、と言ったら危険思想の持主だろうか。特に総統という地位にヒトラーが昇り詰めるまでの鮮やかな選挙戦略なんか、日本でも誰かマネしてくれないと思うくらいだよ。市井紗耶香が参院選に担がれて「子育ての経験を国会へ」なんて叫んでるこの日本は平和なのかもしれないけれど。

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俺の大好きな名言
「嘘つきは政治家のはじまり」

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