506機関

夜な夜な酒と議論を交わす月読ジャーナル

2018/12

この1年間浴びるほど世界史を勉強してます。ほぼ知識ゼロの状態から早慶合格レベルまで引き上げる計画です。学生時代から勉学に対して「消去法」だったという後悔がありました。文系を選んだのも数学が苦手だから、日本史を選んだのも世界史が苦手だから、大学を受験したのも仕事を辞めたかったから、芸術学科を選んだのも他の学部より面白そうだったから。全て消去法。今までの人生で学問に対して能動的にアプローチしたことは一度もありませんでした。その中でも特に世界史を真面目にやらなかった、もっと率直に言えば、目を背け、逃げだしたという事実は大学へ進学してから大きな代償として跳ね返ってきました。



自分の通った大学の学科は絵画や映像の歴史を研究するところで、つまり歴史の知識は必須事項でした。ヒトラーが「映画」という新しいメディアを政治利用したことは、ヒトラーという人物及び戦間期国際情勢を熟知していることが前提での話でありますし、ボッティチェルリの絵画研究では、ルネサンス哲学と、メディチ家を含むイタリアの政治状況を把握していないと研究になりません。因数分解ができないのに2次関数を解いているようなもので、そもそも基礎を飛ばして応用に入るということは理系科目ではありえません。ですが文系科目ではしばしば見られることなのです。そんなことすら理解していなかった坊やの自分は、なぜ段々と講義についていけなくなったのか、なぜレポートを書くのが苦痛になっていったのか、当時はその原因がよくわかりませんでした。そのルサンチマンを少しでも解消するため、と言えば格好つけた言い方かもしれません。今さら早慶合格レベルまで世界史を憶えたからなんだ、と言われると返す言葉もありません。ですが、これは手前みそになりますが、諸事情により現時点で日本史という教科に関しては早慶レベルの学力がありまして、その方面では多少明るいことを自負しています。日本の歴史に多少明るいだけでも日々のニュース、歴史ドラマ、ドキュメントに対する理解度は格段に違います。さらに世界の歴史にも精通できたら、自分の前にどんな世界が見えるのだろう。大人になってそんな憧れを持つようになりました。この憧れを叶えるべく決起した1年でした。



高校生の頃、世界史を真っ先に排除した理由は「範囲が広すぎる」こと「横文字の名前が覚えられない」ことの2点です。世界史を避ける人のほとんどがこの理由ではないでしょうか。例えば織田信長だと、時代劇で頻繁に取り上げられますし、しかも有名な主演級の俳優が演じますので日本人なら誰しも親近感を持っています。ではフランスのカール大帝、ローマのカエサル、唐の太宗李世民となるとどうでしょう。何となく聞いたことはあっても親近感は持ちづらいです。マルクスアウレリウスアントニウスは受験世界史における一番長い人名ですが、もうこうなると親近感どころか嫌悪感すら持ちかねません。日本史の勉強はその親近感のハードルが低い分、あとは深堀りするだけでいいので楽なのです(早慶の日本史は受験生の予想をはるかに超える深堀りをしてくるので決して楽ではないですが)。この「楽」が世のオジサンたちを「にわか」歴史通へと変貌させるゆえんでして、にわか歴史通についてここでは多くを語りませんが、百害あって一利なしとしておきます。話を戻しますと、世界史は出てくる単語にとかく親近感がないものが多く、そんな単語は覚えても覚えてもすぐに忘れてしまうわけです。それが延々と各国史続くのですからたまったものではありません。



ではどうしたらいいでしょう。歴史の勉強はプラモデル制作に似ていると個人的に感じています。個々のパーツを作って、組み上げて、塗装する。パーツは単語、その単語と関連単語を繋いで全体を組み上げる。例えば、パーツを「カエサル」としましょう。組み上げるときの関連パーツは「三頭政治」「ローマ共和制期」「独裁者」「後継者アントニウス」といったところでしょうか。ただ、これを組み上げただけでは一体何ができあがったのやら。普通の人はこれだけではなかなか脳に定着しません。一部の記憶力の優れた人や、問題集で何度もこの部分につまづいた努力の人なら、あるいは悔しくて覚えるかもしれませんが、できるならもっと楽しくやりたいものです。そこで出てくるのが「塗装」作業です。4文字のカタカナでしか認識していない無色のパーツ「カエサル」に具体的な色、つまり人物像を与えるのです。そのためには「物語記憶法」が最も効果的です。映画、小説、アニメ、漫画でターゲットの人物が登場する作品を鑑賞するのです。視覚メディアは基本的に「娯楽」ですからただ眺めるだけでいいのです。カエサルなら海外ドラマ「ローマ」がおススメ。カエサルの腹心の部下ヴォレヌスとプッロから見た英雄カエサルの物語で、ガリア遠征からオクタビアヌスが皇帝になるまでを描いた超大作です。部下2人から見た英雄カエサルは何とも人間味溢れる独裁者です。早慶の過去問ではカエサルのライバルにして三巨頭の一人「ポンペイウス」、カエサル暗殺後のリーダー「アントニウス」、そのアントニウスに暗殺された哲学者「キケロ」が度々出題されています。ドラマ「ローマ」でもその3人はかなり濃い役どころで出演していますので、これを鑑賞すればカエサルが活躍したローマ共和制末期の時代背景と周辺人物たちをしっかりと「塗装」された立体感を持つパーツとして組み上げることができるわけです。



ではもう一例やってみましょう。パーツは「太宗李世民」、関連項目として「高祖李淵」「貞観の治」「玄奘」「東突厥降伏」です。李世民は中国の唐帝国の2代皇帝です。中国の皇帝は初代を「高祖」2代目を「太宗」と呼ぶのが通例で、つまり李淵は李世民のお父さんで初代皇帝です。敵対する北方民族「東突厥」を降伏させ、西遊記で名高い「玄奘」法師をインドへ派遣して文化交流を深め、李世民の治世は「貞観の治」と呼ばれる誉れ高い平和の時代でした。これらに塗装するのは「隋唐演義」という中国の古典です。中国では三国志よりも有名な英雄物語だそうです。翻訳した小説版もありますし、漫画や海外ドラマにもなっていますので気軽に鑑賞できます。主人公の秦淑宝という最強の武将が李世民と出会って隋に反乱を起こし中華を見事統一する物語です。反乱時の李世民の年齢がなんと弱冠18歳。隋の朝廷から左遷されたお父さんである李淵を焚きつけて、自ら主導して反乱を成功させます。隋唐演義を読めば、隋の悪政がよくわかるし、李世民の凄さが嫌というほど伝わってきます。秦淑宝が入試に出ることはありませんが、李世民を忘れることはないでしょう。残念ながら「物語記憶法」をすべての時代、国でやっていたら時間がいくらあっても足りません。ですのでこの方法はどうしても覚えられない自分の弱点とも言うべき時代でやることをお勧めします。私の場合、フランス革命以降の近現代は比較的苦手意識を持つことはなかったのですが、何度やっても頭に入らなかったのが古代中国・西欧・インド史でした。



なぜイギリスにインド人移民が多いのか、フランスには黒人移民が多いのか、中東パレスチナのこじれ方やウクライナの分裂問題、中国共産党はなんであんなに強気なのか、なぜEUからイギリスは抜けたがるのか、などニュースの解説はある一定の世界史の知識を前提にしています。それを知らないと日本人には関心が向きづらく、ともすると勝手に解釈したり偏った見方をしてしまうことにもなりかねません。こういった世界情勢へ知的アプローチをするためにも世界史を学ぶことは無駄ではないと思っています。今一番熱いテーマは「現在の民主主義はどのように滅んでいくか」なんですが、世界史を学んでこのへんまで予測できるようになると、なかなか楽しいのになぁ、とニヤニヤしています。マルクスのように大英図書館に閉じこもって「資本論」を書くみたいなことはさすがにできませんが、教科書の中からこういった原石を拾い出すことが凡人の私にできる楽しみです。今後は世界史勉強の中から掘り出したテーマを少しづつ書いていこうかと思っております。

「機動戦士ガンダムNT」。NTと書いて「ナラティブ」。福井晴敏原作「機動戦士ガンダムUC」続編として劇場公開されたので早速映画館へ足を運んでみた。



「機動戦士ガンダムNT」制作発表と同時に「UC NexT 0100」なるものが発表された。ガンダム100年計画というらしい。前作「機動戦士ガンダムUC」から以降100年の宇宙世紀の物語(ガンダム用語で「正史」という)を順次制作していくプロジェクトだそうだ。歴代ガンダムは宇宙世紀とは関係ない、ガンダムの名義を貸したスピンオフ作品が多く、正史の話は少ない上にそのほとんどを原作者である富野由悠季が制作してきた。ファーストガンダム(UC0079年)から逆襲のシャア(UC0093年)まで同一線上の物語を完結させたが、その後の正史でのガンダム作品は地続きではなく単発の物語しか作られていない。小説を含めると「閃光のハサウェイ(UC0105年」「機動戦士ガンダムF91(UC0123年)」「機動戦士Vガンダム(UC0153年)」「ガイア・ギア(UC0203年)」「∀ガンダム(MSが遺跡から発掘されるくらい遠い未来)」の5作品で、どれも時間軸の間隔を空けた単発作品と言っていい。「UC NexT 0100」はおそらくこの作品郡の間を埋める作品を制作して、宇宙世紀を一つの流れにしていく、という宣言だろう。



「UC NexT 0100」の記念すべき第一作目が「機動戦士ガンダムNT」ということになるが、ガンダムのコアファンとして見るべきポイントはただ一つ。「ニュータイプがどのように滅びていくか」の第一歩がどう描かれるかだ。逆襲のシャア以降、富野ガンダムにニュータイプが一切登場しないということは、それが意図的か偶然かは置いておいても、どこかでニュータイプを「終わらせ」ないと上手く富野作品へバトンタッチできないのは明らかだと思う。「機動戦士ガンダムUC」で見事に富野の尻ぬぐい(ガンダム~逆襲のシャアまでの矛盾の整理)をやってのけた福井晴敏は同時に「宇宙憲章の抹消された条項」と「全身サイコフレームのガンダム」という、それまでの優秀な兵士程度だったニュータイプの概念に、更なる拡がりを持たせた。そこからどうやってニュータイプの「終焉」を迎えさせるか、ニュータイプの終わりの始まりをどう描くかが「機動戦士ガンダムNT」の最大の見どころ、と勝手に妄想を膨らませて鑑賞した。全く的外れかもしれないけど。でもNTってニュータイプとも読めるし。



さて、NTの物語を簡単に要約してみる。ジオンのコロニー落下を見事予知した「奇跡の子」と呼ばれた幼馴染3人が、ニュータイプ研究所に引き取られ、その後バラバラの道に進むも、その中の一人リタ(美少女・どうやらフェネクスガンダムのパイロット)が失踪し、残された2人ヨナ(NTガンダムのパイロット)とミシェル(ルオ商会の幹部に出世)がフェネクスガンダム捕獲作戦の流れでリタと接触していく、というお話だ。おやおや。幼馴染の男女3人のジュブナイルストーリー。富野ガンダムでは絶対に描かれないであろう定形シナリオを、まさか正史のガンダムで拝めるとは全く驚きだった。さすが福井晴敏。まさしくナラティブ(和訳:物語)じゃないか。富野はきっと嫌いなんだろうなぁ、こういうチャラいやつ。思想を語るアニメだから、ガンダムは。



アニメがヒットし長寿作品となりその世界観やキャラクターが大河ドラマ化した場合、原作者の手から離して優秀な後継者にバトンタッチすべきだと昔から主張してきた。「ドラゴンボール」「聖闘士星矢」「ジョジョの奇妙な冒険」など同一原作者による長期連載の劣化は枚挙に暇がない。各作品の劣化の詳細は長くなるので避けるが、例えばドラゴンボールにおける「戦闘力のインフレ」などはその後の漫画史の中で克服すべき課題であった。富野ガンダムが劣化したとは言わないが、アニメ制作とは最も程遠く、且つガンダムの最もコアファンと自称する一介の小説家、福井晴敏がガンダムの正史を担当したことは、彼の能力の是非は置いておいて、とても良かったと思う。「NT」のジュブナイルストーリーも富野ガンダムでは絶対にお目にかかれない脚本だったしな。



で、最大の見どころに話を戻すと、やっぱり出てきたニュータイプ論。ルオ商会で幹部にのし上がった主役の1人ミシェルの台詞に見事に集約されてた。

「サイコフレームは死をも超越できる」

どうやら人の意識(魂?)をサイコフレームに保存できる、という理屈らしい。肉体を離れた魂を保存できるなら人は死なない。まぁ、たしかに。アムロは普通に死んだララアと話してたし、カミーユは死者の魂集めてラスボスシロッコを突き刺してたしな。ああいうニュータイプの能力をサイコフレームに落とし込むってことか。ミシェルはその壮大な計画を遂行するためにルオ商会で頑張っているとの告白もあった。補給も整備もせずあちこち飛び回る無人のフェネクスガンダムにリタを感じるって、リタがサイコフレームの中に保存されてるってことなんだろうけど、どうだろう。



νガンダムではファンネルを操る程度だったサイコフレームが、ユニコーン、ナラティブ、フェネクスになると全身フル装備、というかサイコフレームそのものでMSを組み上げるし、パイロットはサイコスーツ着用してるし、恐ろしい技術の進化スピードなんだが、せいぜい数十発持ってれば抑止力になりそうな核ミサイルを何百何千って開発競争してるのと似てるんだよな。表面的には使わない約束してるのにどんどんミサイル高性能にしてるし。このサイコフレーム技術の進化の行き着く先はどうなるのか?その思想的方向性が「サイコフレームは死をも超越できる」の一言に集約されていたと思う。もはや兵器としてのガンダムじゃない。人類に福音をもたらすテクノロジー。そういえば前作のガンダムUCから気になってたんだけど、主人公がニュータイプであることがことさら強調されなくなったと思ったのは自分だけだろうか。バナージ然り今回のヨナもサイコフレームのガンダムに乗っているってことはニュータイプなんだろうけど、作中でそういった説明は特にない。さして2人とも強くなかったし。過去のガンダムでは「選ばれし英雄=ニュータイプ」で、超人的な戦闘力を持つのが常だった。アムロはコアファイターでも強い。なぜならニュータイプだから。でもUCからニュータイプの超人的能力にスポットは当たらなくなった。で、今作品においてはっきりと「ニュータイプの人<サイコテクノロジー」という流れが確定した。



サイコフレームに魂を保存するって、凡人の自分があえてこれからのストーリーを想像するなら、思い切ってサイコフレームで超巨大コロニー(全人類収容できるくらい)作って、全人類をその中に詰め込んで魂を抜き出して保存するな。で、中学生くらいの男女だけ地球上に生き残らせるの。アダムとイブみたいに。どうかな?某アニメの「人類〇完計画」みたいじゃない?もちろん冗談だけれど、ミシェルの思想ならやりかねない。100年計画のオチ、お願いだからそれだけはやめてくれよ。

皆さんは「Bダッシュ」というダッシュをご存知だろうか? もちろんマリオのBダッシュ。早く走れるやつである。これがないとジャンプも微妙。難所も越えられない。誰にとっても基本技で基本ワード。超有名。社会人となったファミコン世代には、遅刻してくる後輩に対して「いいからBダッシュで来いよ」と言ったことがある人は少なくないだろう。これは優しさや配慮である。怒ってるけど丸めてる訳だが、どこかの年代からはBダッシュは通じていないらしい。後輩は「Bって何だ?」とは思いつつも、聞ける状況でもない。ニュアンス的に早く来いってことが伝わっているだけである。会話が成立してると思ってるのはぶっちゃけ先輩側だけ。もちろん優しさや配慮など伝わってる訳もない。自分も誰からも突っ込まれることなく、あたりまえにBダッシュを多用していた。そして3年程前、家電量販店のマリオメーカーお試しプレイエリアでのことである。周りの小学生に「Bダッシュってどれ?」って聞いたら「えー分かんない」と返ってきた。「いやさっきまでダッシュしてたやん」って言ったら「それはこれ」と教えてくれた。「今ってYダッシュなんや」と和もうと思ったら「えー分かんないけど早く返してよ」と突き放された。その時気付いた。ダッシュはBボタンでもないし、Bダッシュって言葉も通じてないことに。そして少し遅れてYダッシュとも言わないことに。今は普通に「ダッシュ」っぽいね。でもそれって、いつからだ? 一体いつからなんだ。

初期のドラクエなんかも似たようなもんだ。入社してそこそこ経つのに全然使えない奴に「レベル30なのにアリアハン」とディスったつもりがまるで伝わらない。出来る奴ならレベル30でゾーマ倒してクリアしてるからね。という皮肉とユーモアを、30という絶妙な数字に込めているのにである。応用編は「レーベ」。地味にアリアハンよりディスってる感じ。「ダーマ」にも辿り着いてないくせに転職なんて、とかも鉄板。結構なレベルなら「裏の世界」ってのも暗黙の了解。一旦の目標は達してる訳だしね、バラモスという。人生全体の過程を表現する場合は、小学校入学が「ロマリア」、エロいこと考え始める歳が「アッサラーム」。この辺もメジャーどころ。キャラ名だと「カンダタ」。いわゆる変態野郎。ずっと凄い勇者だと思ってた父親がカンダタの色違いだった、ってのは大人になり夢と現実の隔たりを諦める瞬間だろうか。ファミコン世代にはだいたい伝わるはず。とにかくアリアハンは、期待と未熟、二つの意味を併せ持ついい例えなんだが、もう廃れてしまったようだ。こないだも居酒屋で前のめりな若い奴に「お前まだアリアハン」と言ったら、中間管理職的な奴に「それマサラタウンね」と翻訳された。「何それ?」と聞いたら「大丈夫っす、適切な変換です」と返ってきた。ちゃんと中間を管理してるね。だがそのマサラタウンなる街もいずれは風化し、アリアハンと同じ運命を辿るのだろう。だがとりあえず「返事がない、ただの屍のようだ」って気分。言われた若い側は「しかし何も起こらなかった」だろうか。

最も顕著な例がキン肉マンだろう。LINEのような社内コミュニケーションツール。その丸いアイコンに「知恵の輪マン」がピッタリはまって自分的にめっちゃ満足していた。だが時を経て忘年会、4,5年目の女子社員に「あれ何ですか?」と聞かれる始末。そう聞かれたら終わりのやつ。でもこれは完全に自分が悪い。いきなり知恵の輪マンはハードルが高すぎた。案の定、その子は主人公「キン肉マン」は知っていた。顔も書かせたけど、ほぼ正解。続けて「ラーメンマンは知ってる?」って聞いたら「詳しくは知らないですけど有名ですよね 笑」と返ってきた。嘘だろ?って驚きを隠せないまま「じゃあテリーマンは?」って聞いたら、これ以上アラフォー達にショックに与えないように「知ってますよ 笑」と返ってきた。優しい子だ。採用して正解。これ以上はパワハラかセクハラになりそうだったので話題を変えようと思ったが、横にいた他のおっさんが超人オリンピックでの新幹線の逸話を披露し始めた。「だって東京駅からですよね、どこで止めたんですか?」「浜松くらいじゃん?」「えー凄いですねー、チェリーマン」なんて流れになってたけど、何だよチェリーマンって... 浜松も適当だろ。そのまま話しはチェリーマンからジェロニモの悲哀に移っていってたが、それ話したかったのは俺だしね。ほんと、君ってやつは。それにしてもキン肉マンなんか、もはやレジェンド。超有名って思い込んでたが「昔のキン肉マンなんか、若い奴の誰が読むんだ」と突っ込まれたとき、妙に腹落ちした。今は「君ってやつは」より「君の名は」なんだろう。

実際、こんなの氷山の一角だろう。アラフォーにとってあたりまえな言葉は、あたりまえではない。60年代にはその「あたりまえ」のことを、いちいち「あたり前田のクラッカー」と言い直してたようだしね。信じられないんだけど。って感じだけど、今やアラフォー世代こそが、そう思われている可能性もある。共通のアニメ、共通のゲームを共有して来たアラフォー世代。それ自体は幸せなことだが、同世代にしか通じない創作物上の固有名詞が量産されてしまっている。そして世代がずれて言葉が通じなかったとき、それが創作の固有名詞だった場合、一般名詞や形容詞、動詞などに比べて、だいぶダメージが大きいだろうことは言うまでもない。

アラフォーな皆さん、会社では偉い方になってきてると思うけど気を付けましょう。

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スープの季節ですね。来ました2018-2019シーズン。ということでラーメン食べ尽くし企画其の壱。まずは中野編。

中野はふんわりとゆかりの地。中央線カルチャーの一番目の駅でアニメと漫画以外はサブカル感もまだ薄め。新宿から近く雑多に人が多い街。特に北口には味のある建物と腐ったチェーン店の混在エリアが広がっている。こうした整然と混沌の間には、各種鉄板系から個性派まで色んなラーメン屋がバランスよく揃ってそうだ。そんな中野からは食べログ3.5以上で15店舗をノミネート。では看板メニューのラーメンを食べてレポっていこう。

☆ まじ卍(唸るほど旨い)
◎ いい波のってんね(普通に美味しい)
○ わんちゃんイケる(可もなく不可もなく)
△ ありよりのなし(微妙なライン)
× やばたにえん(まずい)



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味噌が一番/頂上味噌麺 ○

記念すべき企画の一店目。入口から券売機にあたっては、色々メニューがあってポリシーない系かと一瞬疑うが味噌の軸はブレてない。看板メニューは綺麗にまとまった新しい感じの味噌ラーメン。バランスもいいし、スープ、麺、具、全てが丁寧に作られている。誰が食べても普通に美味しいだろう。香ばしいチャーシューとアクセントの柚子もいい感じ。途中から七味をかけるといいらしい。気持ち脂を抑えて塩分アップだとよりいいかも。結構ちゃんと味噌ラーメンだが、従来の味噌にはないチャレンジもある。オリジナリティとこだわりの感じられる一杯。不思議と時間の経過と共に再訪意欲が芽生える店で、深夜に近くに来たらまた食べたい。



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煮干し中華そば鈴蘭/濃厚煮干しそば ☆

ハッキリ言って写真はパネマジ。全然違うのが出てくる。そして出てきた瞬間からヨダレがこぼれ落ちそうになる煮干しの香り。兎に角スープが旨い。入口の「煮干の旨さ教えます」って看板は伊達じゃない。別に煮干し通じゃないけどね。硬めの中太麺ともよく合っててスープと麺だけでも充分いける。具も全て美味しいし、全体的なバランスまでいい。あっという間に食べ終えてしまう。煮干しのスープに沈んだ刻みネギと少し辛めの玉ねぎがツボって食後もひたすらスープをチビチビ。やめられない、とまらない。どうやらネギと玉ねぎは無料で増量出来るようだ。素晴らしい。禁断のスープ飲み干しが有り得て怖い一杯。絶対また来る。てか誰か連れて来る。



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バラそば屋/特製バラそば塩 ×

ビジュアル的に気になってた店。ザクザクのネギ、たっぷりの磯海苔、柔らかそうなチャーシュー、真ん中に卵の黄身が特徴的なあっさり豚骨の塩ラーメン。店に入ると隣のリーマン二名が残ったスープをチビチビすすりながら感嘆を交えて品評中。これは期待が膨らむ。早く来い来いバラそばくんって感じだったけどスープの塩分が強すぎた。一口目はほっこり美味しいが、徐々にしょっぱさに耐えるのがメインとなる。黄身を溶かしてもほぼ無駄。全てが台無し。残念すぎ。むしろ期待との落差がムカつく。ついでにさっきのリーマンにまでムカついてくる始末。塩分の摂り過ぎは良くないね。しょっぱいだけで見た目のわりに安っぽい一杯。もう来ない。



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二代目武道家/のり味玉ラーメン ○

飲んだ帰りの家系は反則。でも行っちゃうよね。海苔多めで味玉付き、脂少なめ麺硬め。デブるしライスは我慢、なんて出来る訳もなく一口目で敢え無く追加注文。海苔をスープに浸してライスを食べる。実は海苔多めな時点で最初からライスも食べるつもり。これこそ家系の至福。半分くらいでニンニクをレンゲで溶かし海苔を浸してライス。至福のドーピング。更に半分で辛子味噌。最後は残ったスープをチビチビって感じだが、これで旨くない訳がない。家系自体も各々の食べ方も完成されている。だがそれは同時に制約をも意味している。独自性や創作性は不要でいかに王道を満たせるかだけの世界。その中でここは王道を満たせる一杯。家が近ければな。



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さいころ/煮干し中華 △

店主はアウトロー寄りなB系。黒基調の店にはDJブースにバーカン。小さなヤシの木はLEDイルミネーション。HP見るに方南町で話題だった地雷原という店が原点らしく、色々と活動家でやりたいことをまとめてこの店で実現しました的な感じ。IWGPのキングっぽい。からの現在行きついたこの店のラーメンはなぜか超シンプルな煮干しラーメン。ある意味硬派で煮干しにめっちゃ自信がないと出せないやつ。だがそのスープが刺さらないと、ひたすら淡々と縮れ麺をすするだけの事態となる。ぶっちゃけすぐ飽きた。肉も推しらしいが普通。煮干しよりB系の香りが漂う店だ。店主の夢が詰まってるようで何がしたいのかイマイチよく分からない一杯。もう来ない。



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ばりこて/博多ラーメン △

久しぶりの博多ラーメン。バリバリ豚骨スープにバリバリ細麺の替え玉システム。この店はかなりシンプルでベースがかなり少量なので、ざるそばツルっと一枚食べたくらい。だが案の定、替え玉もせずに会計してしまって「えっもういいんですか?」って感じで若干気まずかった。店員よ、申し訳ない。博多ラーメンはあまり好かない。やはり普通に豚骨が臭すぎやしないか。それでスープに紅ショウガを直接落としちゃうけど、それは邪道という噂も。よく知らんけど。この店は味のバランスはいいけどね。博多好きな人は好きなのかも。深夜2時過ぎ、常連が店員と飲みながら楽しんでいるところ、水を差してごめんって一杯。もう来れない。



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Kaeru/ラーメン ◎

二郎インスパイアでビビってたけど、女性客が居たので意を決し入店。生卵とニンニク追加、玉ねぎ多めでも、二郎と比べるとだいぶ現実的なボリューム。天地返しせずとも最初から麺にアプローチ出来るレベル。数年ぶりの背脂ニンニクのギトギトスープ。やや醤油寄りだがこのクセになる感じ、実は好き。当然モヤシと玉ねぎ、極太麺もはまってる。この店には飲める水もレンゲもちゃんとあり、ちょうど満腹くらいで完食。麺は200gらしいが「半分でもOK?」と聞いたら、笑顔で「大丈夫ですよ!」と返ってきた。界隈の常識的には「Youは何しに此処へ?」って感じだろうが愛想のいいことだ。量が苦手な人にもいい一杯。次は麺半分、野菜と玉ねぎ多めで。



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麺屋はし本/味玉ラーメン ×

つけ麺の元祖、池袋大勝軒から独立したらしく比較的新しめの人気店。なんせ閉店時間は早いしスープがなくなっても終わり。駅からも遠くていわゆる意識高い系、じゃなくて敷居高い系。だからこの店には期待してた。上品だけどクセになる魚介豚骨が食べられるかもと。しかし現実は想像以上にドロドロで重たいスープ。豚骨臭も強め。そして必要以上に多くて重たい麺。食べても食べても絡まったまま沈んで出てこない麺は、やや絶望的で段々気持ち悪くなってくる。最終的には仕方なく水で流し込む系だが、麺にスープがよく絡むので食後に残ったスープの量が異常に少ないのがまた絶望的。無駄にデブった気分な一杯。普通にもう来ない。



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上海麺館/豚そば ◎

大衆中華店かと思ってたがれっきとした麺屋だった。そしてかなり美味しい。あっさりした醤油系のスープで、絶妙に豚の脂も効いてる。チャーシューも柔らかくて美味しい。そしてネギとモヤシがたっぷり。いい感じにシャキシャキ。麺は細麺ストレートでスープにめっちゃ合ってる。後半、麺にモヤシを絡ませて食べるとスープも絡むし食感も新しい。麺も具も全体的に丁寧で適量。あっさりした醤油系のラーメンは、得てしてつまらなさや物足りなさを感じるものだが、この豚そは一線を画している。優し目なのに小気味良くクセになる。なんだこの素晴らしいバランスはって感じの一杯。近くにあったら飲んだ翌日系として多用するだろう。



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青葉/特製中華そば ◎

2018年の食べ納めは我らが青葉。と言いつつ本店は久しぶり。行列もせずに食べられるようになったのは幸せなことだ。青葉の説明は不要だろうが元祖魚介豚骨スープ。20年前はこれが新しくセンセーショナルだった。皆が黄金のスープと崇め、あっという間に流行った。今や魚介豚骨はラーメンのメインストリームと言っても過言ではない。青葉は魚介が前め、豚骨が後め、少し別れてくる気もするが、どちらも主張が強くない。ややほっこり系。柚子唐辛子のトッピングは結構しっくり味変する。全体的にバランスも良いし丁寧で美味しい。麺がツルッとし過ぎてる以外はいつも完璧な一杯。インスタ映えもばっちり。誰かのとばっちりでまた青葉、的な。



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菜華/支那そば ○

魚介の香りが漂うバランスの良いスープ。何もマイナス点がなくて普通に美味しくてほっこりする。夫婦で切り盛り系の店だが、一部上場の中堅でそこそこ出来るヤツが出てきたねって感じ。塩分も脂も麺の量も適量でちゃんとした人柄が滲み出てる。尖ったところがなく程よくボケた味。チャーシューを軽く炙ったり、メンマが謎に大きめだったり、ちょっとした遊び心を忘れてないところも大手のバランサー感を演出。スペシャリストよりゼネラリストの重要性を説かれているようだ。人間失格の堂本剛がイジメられて死なず、立派に大人になったような一杯。近ければふらっと寄る系かもしれないが、遠くから再訪する程に光るところは一つもないかな。



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神笑/辛味噌ラーメン ○

やんわりジワジワ系の辛さと、まろやかさを兼ね備えた味噌スープ。醍醐味である炒め野菜と生のほうれん草がふんだんに乗っかり、魚粉までまぶされた様は冬場の食欲がマックスにそそられる。味噌でありがちの前半と後半の落差は否めないが、基本的には絵面通りに美味しい。ライスだけでなく野菜やほうれん草の増量まで無料なのは、単にガッツリ系ニーズに応えるだけ以上の心意気と優しさを感じる。だがむしろ麺少な目、挽き肉をエキスレベルまで微量に出来るといい感じになりそうな一杯。気さくに話しかけてくる店員なので、次回はカスタマイズオーダーしてみたい。「自分辛いの苦手なんすよね~」はちょっとウケた。



「五丁目ハウス」「鵺」「豚野郎」
やってるはずの日時なのに閉店してて食べれなかったこの3軒は一旦ノミネートから外した。また来るかもしれないが辞退ということで。Twitterで不定期の休みを告知してます、がよくあるパターンだがリピ確しないとフォローしないって普通。一期一会だね。




🍜 食べログ3.5以上の店

2018年11月現在。駅から800m以内で検索。特に都市部では統計学的な意味で点数足切りが効率的。3.5以上は良店の暗黙基準とも言われ、運営の公表では上位の4%らしい。3.5未満でも美味しい店があるのは百も承知だが悪しからず。ラーメン屋多いしね。東京って何て幸せなんだ。

🍜 看板メニューがラーメンでない店を除く

券売機左上のポールポジションで。つけ麺や油そば屋のラーメンが美味しかったとしても、店側がつけ麺の方が美味しいと思ってる訳で、何とも言えない気持ちになるので悪しからず。ラーメンマンだしスープを飲みながら食べたいよね。ってかつけ麺はぶっちゃけちょっと下に見てる。

🍜 出来る限り状況にマッチしたときに食べる

シラフ、酔ってる、飲み明け、昼、夜などを重視。状況に添えない場合もあるし、基本は気持ち脂少なめ塩分控えめが好みだが揺らぎもあるので悪しからず。無論苦渋のジレンマだが、デブらず何度も食べたいのでスープは飲み干さない派。逆に食後どれだけチビチビいってしまうかは重要な指標。

10年程前、テレビを買うときに誰もが与えられた選択肢「液晶かプラズマか」。あそこで真面目に見比べて液晶をチョイスした人がいたとしたら、はっきり言おう「目が腐ってる」と。

大半はこだわりなくチョイスしてた、が実情だろうか。後の市場シェアをみれば液晶が大勝し、プラズマは完敗。全てのメーカーが撤退し販売終了している。敗因は小型化出来ず売れ筋ラインのサイズでの価格競争に勝てなかったからだが、一方でフリークは未だに晩年のプラズマ名機を愛用し続けている。界隈ではそんな感じで概ねの一致をみているのではないだろうか。後に液晶側の旗振り役シャープが経営不振で台湾鴻海に買われたのも皮肉なもんだが、プラズマ側の旗振り役のパナソニックが会長退任と共に市場から撤退したときはある種の悲哀と浪漫を感じたものだ。

私もフリークとしてそんなパナソニックの最後から2番目のプラズマテレビを愛用していたのだが、先日不慮の事故で画面が割れて映らなくなってしまった。そこで7年振りに量販店テレビコーナーに足を踏み入れたわけだが、結論から言うと欲しいテレビが1つもなかったことに軽めに失望した。

液晶テレビは相も変わらず、滲んだように動き、暗い映像に締りがなく、未だに視野角まで狭い。いわゆる「液晶三悪」だが、少しでも技術の進歩に期待した自分がバカだった。7年前より幾分マシにはなってるのかもしれないがプラズマテレビに眼が慣れてるととても耐えられない。完全に戦力外。思えば7年前もこいつらの店頭アピールは「明るい」だけだった。むしろ表面に絵が貼り付いたような感じがチカチカして不快である。液晶さんはまあ引き続きパソコンのモニタでもやっててよ、って感じだけど、世の大半はリビングのセンターによくこんな不快なものを置けるな、と思う。明るい店頭ではプラズマは単に暗いテレビとなってしまうので売れなかったのも分かるが、だいたいのリビングは店頭ほど明るくはない。クオリティの差は7年経ってもまるで埋まってない。

じゃあプラズマテレビってどんなだよ、ってなると思うが、あんまり売れてないので実はちゃんと観たことがない人も多いんじゃないかと思う。例えるなら「ガラス窓の中に映る世界を、覗いている、眺めている」という感じ。その世界には奥行きがあり、光は煌々と輝いている。ちなみに液晶は「光る絵を、見ている」という感じ。全体を光らせてから遮光制御して絵を作り出す液晶とは構造が逆で、プラズマは発光体の集合で絵を作り出している。スポーツや映画に向いていると言われたが、ぶっちゃけ何を観ても自然体で綺麗だしブラウン管のような温かみもある。何なら30、40代がやりがちの観てないのにとりあえずテレビつけとく、ってやつにもピッタリである。欠点は最大輝度が低いので明るい場所では見ずらいことと、消費電力が多く熱を持つことだろう。価格コムに4K液晶の精細感に対するコメントで秀逸なものがあったので併せて記しておこう。

「精細感は見ようと意識して見れば、確かに細かさを実感出来ますが、現実に映画を見ていると内容に没頭していて、細かな細部の精細感などはほとんど気にしていないと思います。そういう分析的なものよりプラズマテレビ特有の立体感、煌めき、陰影表現等のイメージ的なものの方が映画の画質に高品位な影響を与えていると思います。」(中略)「映画でなくても現実世界でも、人を見る時に細かなしわがあるかどうかよりも、むしろ肌の色とか 陰影感のような空間的な雰囲気を感じ取っているのではないでしょうか」

その精細感ですら液晶である以上静止系に寄ると思うしね。液晶の技術進歩はその抜本的な問題の解決には永遠に至らないのだろう。出来ることは解像度のアップだけ。だから放送の枠組みが定まる前に4K解像度のテレビなんて売り出しているんだろうが、一体4K解像度のテレビを買って何を見るというのだろうか。4Kだし何となく綺麗そうと思ってるけど、実はコンテンツ自体が既存のFullHDやHDの解像度だと特に変わらないんだけどね、ってことも気付かないこだわりなくチョイスする大半を見越してのことは言うまでもない。ようやく12月からBSで一部4K放送を始めるようだが、今年発売の4K解像度のテレビでも殆どの機種に4K放送の受信チューナーが入ってないのだから笑える話しである。そして一般的な地デジの4K放送は設備の都合上全くもって未定である。NetflixやAmazonの4Kコンテンツを目的とするならまだ分かるが、圧縮レートの低さは気になる。概算でも画面サイズが4分の1となるFullHDのBlu-rayの半分以下のデータ容量まで圧縮されていると思われる。つまり4K解像度のコンテンツはデータ容量が大きすぎて、綺麗な状態で流通させる技術が、放送でも通信でもディスクメディアでも確立されていないのである。そんな段階で店頭では販促用の4K映像を流してせっせこせっせこ液晶テレビを売っている訳である。悪い奴らだ。

もはや液晶テレビ自体にも4Kのゴリ押し状態にも反吐が出そうだが、量販店テレビコーナーには液晶とは一線を画す有機ELテレビが姿を現し始めている。応答速度、コントラスト、視野角といったクリティカルな問題もなく驚くほどに綺麗。プラズマほどの奥行き感はないが、プラズマとはまた違った視聴感覚を生み出している。プラズマなき今、乗り換えるならこれしかないだろう。今のところ有機ELパネルの生産を実現しているのは韓国LGだけで、パナソニックやソニー、東芝といった国内メーカーが販売している有機ELテレビはLGのパネルを搭載している。もちろん各社それぞれ映像処理の半導体を載せ、画質向上と色作りをしているようだ。その辺りの詳しいところは文末のリンクを参照してもらいたいが、販促用の綺麗な4K映像を映している有機ELテレビはかなりエグい。と同時に4Kの功罪も最大である。完全に時期尚早、オーバースペックである。見るべきコンテンツが圧倒的にまだない。いずれは有機ELテレビを買うのだろうがね。

2018年11月末現在、店頭だと現実的なサイズである50インチ程度で、液晶テレビだと10~20万円、有機ELテレビで20~30万円という感じ。本気で買うにも繋ぎで買うにもマジでいいものがない。液晶テレビはヘボ過ぎて、有機ELテレビは本来のポテンシャルが活かせるコンテンツ環境がまだ整ってない。ようやく有機ELという一筋の光明は見えてきたものの、プラズマの市場撤退から数年間、全くいいテレビが売られてなかったとは残念なことだ。元凶ともいえるシャープ世界の亀山工場ではリストラの嵐が吹き荒れ、目の付けどころが全然シャープじゃなかったね、って感じで粛清中だろう。だが工場のある三重県亀山市は、京都から伊勢の観光の間に泊まるホテルとして中国人に大人気らしい。もう一周してむしろ目の付けどころがシャープでしょ、って気もするが、そのシャープが今のところ有機ELテレビに手をつけていないのもある種の悲哀と浪漫を感じる。なんてことをビックカメラのテレビコーナーのソファで一通り考えた結果、たまりかねてこんなふざけたテレビを買いかけるところでふと我に返った。そうだ、プラズマテレビを修理しよう、と。

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http://doshisha-av.com/


【各社の違いはココだ! 麻倉怜士の有機ELテレビ画質比較教室】
http://www.itmedia.co.jp/



【2018年テレビ事情 続編】
http://506.officialblog.jp/television2

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