506機関

夜な夜な酒と議論を交わす月読ジャーナル

2018/05

第二次世界大戦後。世界は米ソ2大国が核を向け牽制し合ういわゆる冷戦構造が成立し、アジア中東の弱小国がこの2大国の代理戦争をし合う世界となった。ドイツは東西に分裂、ベトナムや朝鮮も南北に分裂し、南北朝鮮の代理戦争が始まったのは1950年。戦争状態が2年経過し暫定的に休戦条約が取り交わされその後も局地的な衝突が続きながらも休戦状態のまま今に至る。時代は移り北朝鮮の代理人ソ連は滅亡、戦争状態であることを口実にアメリカは韓国に軍を置き続け、軍事対抗上北朝鮮は核武装をすることになる。代理戦争であるため当事者間で終戦を決めることができない状況の中、北の代理人中国と南の代理人アメリカが遂に重い腰を上げた。60年の時を経て終戦締結となるか。ふー。固い文章は疲れるな。米朝の歴史的会談が実現するとかしないとか。長らく続いた朝鮮戦争が終わるという歴史的な日を目前に皆さんはいかがお過ごしだろうか。


そんな歴史的会談を横目に日本のメディアは謝罪一色である。佐川さんの証人喚問から財務次官のセクハラ、山口メンバーの引退から日大アメフトタックル問題まで。食傷気味になるほど喚問、追及、謝罪のオンパレード。で、日大アメフト問題だ。無防備な相手選手にタックルをしかける反則行為を巡って、監督の指示の有無を焦点に学生と監督が交互に会見を行う前代未聞の珍事件である。自分のアメフトについての知識といえば大げさな防具をつけたラグビーという程度。ラグビーを引き合いに出しておいてなんだが、ルールすら知らない。高校の頃ラグビー部に友達がいて市選抜になるほどの実力者だと豪語していたので試合観戦しに行った記憶があるが、どの程度の力量なのかはさっぱりわからなかった。競技に対して無知なので当然と言えば当然なんだが、見ていてもラグビー的に「上手い」とは一体どういうことなのかがわからない。サッカーならゴールを入れる、野球ならヒットを打つ、ラグビーはトライというやつを決めれば上手いのだろうがどうやら彼はそういったポジションではないらしい。とにかくボールを持ってる相手に腰を落としてぶつかるぶつかる。サッカーでいうディフェンスというやつか。ぶつかり方の優劣をどうやって判断するんだろうか。


敵と接触するコンタクトスポーツというやつが昔から見るのもやるのも苦手だったわけだが、当時の漫画の影響だろうか、サッカーやバスケはとりあえずやってみるという風潮があった。それをやらない、もしくは上手くないという事実は運動音痴のレッテルを張られるそんな不遇の時代である。よくよくやってみるとサッカーもバスケも巧者になるほど激しくぶつかるわけで、やはり最終的に体格のいい人間が有利なのだ。稀に身長が低くても巧者がいるが近くで見ると背が低いだけで体格はガッチリしている。そして高校に入りラグビー部という存在を知る。自分の中でのラグビーは山下真司・ストライブ・不良、つまりスクールウォーズでしかなかったわけだが、実際のラグビーを見て驚いたことをよく覚えている。ボールを持って走ってる選手にタックルを仕掛けるわけだが、ボールを奪うためにタックルしてるというよりタックルしたいだけじゃないのかそれは、と。パスをした後であろうと構わずタックル。相手が嫌いだったらタックルに身が入りそうだ。スポーツにかこつけたタックル合戦という印象しかなく、これに比べればサッカーバスケはスタイリッシュだこと。ラグビーを球技と呼ぶには相当な違和感を感じるのは自分だけだろうか。


それに輪をかけて激しいのがアメフトというやつなのだろう。あの「武装」は激しくぶつかりますよというアイコンであることは一目瞭然である。どうしてこの競技をやるのだろうか。ラグビーの時点でうっすら感じていた疑問はアメフトに至って迷宮の中である。アメリカ発祥のスポーツって体がデカくて強いこと「だけ」を良しとする思想が根源的に見て取れないだろうか。アメフトのほかにアメリカ発祥スポーツといえばベースボール(あえてこう言ってみる)なんだが、アイツらも揃いも揃ってデカい。海を渡ってメジャーリーグに挑戦した野球選手が彼らの圧倒的な体格という土俵で戦ったが故にたいした成果を挙げれずに帰ってきたのである。イチローという名選手は彼らの土俵で戦わなかったから成功したと言われているが(とは言え身長180㎝体重80㎏は一般人としては相当デカい)、それでも野球はコンタクトスポーツではないからそれが可能だったと思う。アメフトはどうだろう。どんなにイチローがアメフト的に優秀だったとしてもイチロー的体格の人間が入り込む隙は皆無ではなかろうか。いや、線の細い人間にもアメフトをやらせろという話ではなくてさ。なんつーか「潰してこい」が日常会話として成立するスポーツってさ。日大の内田監督以下コーチ含め揃いも揃って一級品の悪人面だし。抗議会見した関西学院の監督も負けず劣らずの悪人面だし。悪人面の指導陣に怪力自慢の選手たち。一昔前ならちょっとした私兵集団ではなかろうか。


話は変わるけど山口メンバーの「メンバー」呼称問題がやっと世間的に認知されたな。古くは駐禁に逆切れした稲垣メンバーから六本木で全裸になった草薙メンバーまで、明らかにジャニーズに対しての配慮、いや今風に言うと忖度から「容疑者」呼称を外したことはバレバレだったんだが、その後どのメディアも「メンバー」呼称問題に対してはっきりした釈明をしなかったことで発生源すらうやむやになってしまった。今回もまるで世間の了解を得て浸透定着したかのように「山口メンバー」と臆面もなく報道したわけである。民放あたりのかわいいアナウンサーがワイドショーで扱うのならまだしも、NHKのちょっと固めのアナウンサーですら「メンバー」呼ばわりしていたが、原稿を見て必ず一度は声に出して練習をするはずであろう彼らはどう思っただろうか。「山口メンバー」。徹底的に発声の訓練を積んできた彼らの矜持にかけた「メンバー」。いや、自分としてはこの「メンバー」呼称はぜひ続けてほしいと思ってる。スマップもTOKIOも嵐もメンバーだろう。だがかつてジャニーズにいた男闘呼組ならどうだろうか。これは間違いなく「組員」になるはず。前田耕陽あたりが逮捕されないかな。前田組員覚醒剤所持で逮捕。誰もジャニーズを連想させない、最強の忖度だと思うが。

会ってみたいお坊さんがいて妙心寺を訪れたが「今日はサンガのカイセツの日やから...」とサクッと断られた。面識もないのに突撃訪問したから当たり前っちゃ当たり前だけど、居るなら出てきてよって感じで少しがっかりした。通ってた学校が近かったから足を延ばしてグラウンドを眺めた。地味な顔立ち、地味なポジションのパイセンが稀にいい動きをすると「ナイスワビサビ!」って言われてたのを思い出した。参賀?讃歌?よく分からないが大切なお勤めなのかなと、トボトボ歩きスマホ。すると、その坊さんがフェイスブックで「今日はパープルサンガの試合のゲスト解説です!」と発信してた... それも広義での布教活動なのかなと思い、そっとスマホをしまって、人知れずゆっくりとまた足を進め始めた自分こそ、多分侘び寂びのはず。

それにしても対談や講演、メディア出演やソーシャルでの情報発信など、地域や国、宗教の垣根に捕らわれず幅広く活動されてるお坊さんである。セルフブランディングという言葉が適切か分からないが、よく出来てるし行動力がぱないす。ローマ教皇と一緒に写ってる写真を見ると、どんな毎日を暮らしてるんだろうと思う。

ちなみに妙心寺は臨済宗妙心寺派の本山。敷地内に多くの塔頭があり寺の町っぽくなってる不思議ゾーン。その塔頭ごとに拝観に課金するシステムなので、観光客、特に外国人は必然的に客単価が上がる。京都の寺が拝観料をとるようになり、貴族向けに打ち出したプランが外国人にヒットする今日この頃。庭園は小一時間はぼんやり佇めるほどに素晴らしく、施設も新しく整えられた禅寺。インスタ映えも必至。若く著名なお坊さんを擁し、経済界の著名人と違わぬ活動をする。何だか侘び寂びの意味が分からなくなりそうだが、活動を通じて何かしら人々に探究の機会を与えるなら、これも仏教なのだろう。坊さんの仕事って奥が深いね。

そんなこと考えながらふらふら京都駅まで歩いてたら、最後に東本願寺に行き当たったので寄ってみた。ちなみに東本願寺は真宗大谷派の本山。大きくて立派なお寺だけど、厳か系でやっぱり全然雰囲気違う。拝観料とかないし、庶民向けお賽銭プラン。浄土教系のお坊さんは原付で念仏と適当な話しを唱えに来た足でパチンコ行ってるイメージ。本当に他力本願でいいのかよく分からなくなりそうだが、法話を通じて誰かしら人々が済度されているなら、これも仏教なのだろう。坊さんの存在って案外普通だね。

坊さんも色々なんだろうけど、社会派の坊さんと朝まで生テレビしてみたいな。とかなんとか、坊さんについて考えながら散歩した休日だったが、夜に西郷どんの月照上人がLGBTっぽくて軽めにPTSDになりかけた。

まさに鰯で精進落ち。
いや、溺で精神墜ち。

西暦はキリストの誕生日を元年にしている。ってどれくらいの認知度があるんだろうか。今年はキリスト生誕から2018年目にあたるわけだが、当たり前のことは改めて教えたりしないものだから意外とみんな知らないのかもしれない。自分も誰かに教わった記憶はないしな。日本には古くから「大化」から始まる元号という暦があって、今は「平成」。でも元号ってのはコロコロと変わるのでいろいろと不便なんだね。通暦なら数字を覚えるだけでいい。キリスト教信者が1%未満しかいない日本で西暦が採用されたのはやはり利便性ってところだろう。他文化の許容範囲が異常に狭そうな中国ですら西暦を採用しているわけで、西暦の利便性たるや中国人も黙らせるってわけだ。

そんな当たり前のように使っている西暦も、古代から中世にかけては各国で独自の暦を使用していた。つまり国の数だけ暦が存在していたわけで、自前の暦を使うことはその国の独立を示すことでもあった。中国を親分と認めて定期的に貢物を献上することを歴史用語で「柵封」というが、古代アジア圏の国のほとんどが柵封の枠組みにいた。で、貢物のお礼に親分の中国が子分に渡すものが中国の暦なのである。時計もカレンダーもない時代、暦というのは時間の概念そのものであって暦を子分に強制させて支配する。現代社会からすると何とも味わい深い。ちなみにキリスト教と犬猿の仲のイスラム圏の国はヒジュラ歴というイスラム独自の暦を今でも使ってる。イスラムの意地だね。

日本も太平洋戦争で西洋諸国相手にがっぷり四つで戦っていた時代、西暦を捨てて「皇紀」という暦を作った。日本の初代天皇、神武天皇の即位日を元年にした暦で、西暦が宗教神話でくるならこっちも同じ土俵で作ってやろうという、いかにも当時の日本らしい西暦への当てこすりである。ちなみに西暦1940年が皇紀2600年だったそうで国を挙げて壮大なお祭りをやったらしい。当時の歴史授業は西暦でなくて皇紀で教えていたのだろうか。皇紀1454年平安京遷都。えーと、西暦だと鳴くよ(794)ウグイス平安京だったな。そっちの方が覚えやすいのになぁ。あ、元号だと西暦794年は延暦13年だ。年表暗記も3度手間。

さて、長い前置きになったが「年表暗記」問題である。日本の詰め込み教育の象徴として長らく君臨し、ゆとり教育一派に徹底的に弾圧されたアレだ。結論として先に言っておくと年表を丸暗記することはあまり効率的ではない。と思う。たとえば次の問題をやってもらいたい。

次の出来事を年代順に並べなさい
徳川家康、征夷大将軍に任命され江戸幕府を開く
大阪夏の陣
関ヶ原の戦い

さて、これはさすがに簡単だろうか。戦国時代はファンが多いしな。歴史ドラマで嫌というほどやってるし歴 史にさほど興味がなくとも何となくわかるのではないか。正解は

①関ヶ原の戦い(1600年)
②徳川家康、征夷大将軍に任命され江戸幕府を開く(1603年)
③大阪夏の陣(1615年)

どうだろう。順番はわかったとしても年号を言い当てるのは少し難しいかもしれない。でもこんなものは年号 を暗記する必要は全くない。関ヶ原で天下分け目の決戦→勝者が幕府を開く→敗者側の残党狩り、という出来 事の中身を理解していれば流れは自然とわかる。じゃあ大阪夏の陣の年号を試験で問われたら解けないじゃないかと不満があるだろうが、それは問題ない。少なくとも高校大学受験に関連した歴史の試験で年号をダイレクトに聞かれることはまず皆無。その上飲み屋で年号を披露しても誰も褒めてくれない。そんなことより中身をしっかり理解する方が居酒屋談義では盛り上がるってものだ。では年号暗記が効率的ではない例証としてもう1問

次の出来事を年代順に並べなさい
禁門の変
八月十八日の政変
第一次長州征討
四国艦隊砲撃事件

これはかなり難しい。幕末ファンでもこれをきちんと答えられる人は少ないはず。ちなみにこの問題は慶應大学の入試問題なのだが、正解は
①八月十八日の政変(1863)
②禁門の変(1864.7)
③四国艦隊砲撃事件(1864.8)
④第一次長州征討(1864.10)

驚くなかれ、八月十八日の政変以外はすべて同年の出来事。年表を暗記してきてもウチの大学には入れませんよ、という慶應からの強いメッセージである。大河ドラマ「龍馬伝」や「八重の桜」など幕末モノをきちんと見ていれば難しい問題ではない。年表で覚えようとすると同年の月単位での暗記になってしまって嫌気がさす。というか月単位の出来事を丸暗記なんて常人には無理な話だろう。それよりもきちんと出来事の内容を理解した方がよほど効率がいい。年号を覚えるのは最初でなく内容を理解して最後に覚えた方が頭に入るような気がする。江戸に幕府を開いて残党狩りまで12年の隙間があるという事実で家康と豊臣家の葛藤を想像する。禁門の変で京都で会津薩摩連合軍に大敗、翌月に欧米列強に長州本土を制圧され、もうダウン寸前のところへ幕府軍が流れ込んでくる。長州にとって災厄の年、1864年。年号暗記の醍醐味はこれじゃなかろうか。

このページのトップヘ